では、あれは一体何だったのだろうか。出迎えた人々は、団員の言葉を半信半疑で聞いていたものの、俊夫さんたちの様子から嘘をついていると疑う雰囲気はなかった。とはいえ荒唐無稽な話をどこまで信じることが出来ない様子でもあった。
警察と消防は、人が流されたかもしれないと言う可能性がある以上、捜索をしないわけにはいかない。ただ、その時点で午後18時を過ぎていたため、安否確認が取れなかった山間の集落の人々の確認含め、捜索は翌日早朝から開始することになった。
雨がやや小康状態になり、それにつれて徐々に被害の状況が報告されるようになった。数カ所の土砂崩れに続き、一部で川が氾濫し床上浸水した地区などもあった。しかし、団員たちが見た無数の人についての報告は一向にない。
「やはり団員たちの話を信じるには無理がある」
そんな雰囲気を察した地元の林業組合長が口を開いた。
「ワシら山に関わる仕事をしているとな、不思議なことに遭遇することは多々ある。稀に人ならざる者に出くわすことだってある。おぬしらはそういったものを見たのだろう。ただ、そんな大がかりなものは見たことも聞いたこともない。そんなもんに遭遇して、お前さんたち本当に命があってよかったのう」
翌日早朝から始まった捜索だが、下流域において流された人は一人も見つからなかった。多くの木々が川を塞き止めていたことから「団員たちは流された木々を人と見間違えたのだろう」という人は少なからずいたものの、多くの者が組合長の言葉を思い出したそうだ。
平成、令和とときは流れたが、今でもこの話は語り草となっている。
当事者だった俊夫さんは御年80歳を迎えたものの、今でもあの光景は昨日のことのように思い出すことができるそうだ。
過去、この地に何か曰くがあるという話は聞かないが、あのとき俊夫さんたちが目撃した多くの人々はどこからきて、そしてどこに消えたのか。この地域にはそんな話が語り継がれている。























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