奇々怪々 お知らせ

不思議体験

とくのしんさんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

山間に響いた不気味なサイレン
長編 2025/08/01 09:38 4,271view
0

「あれはこの世の終わりかと思うくらい、本当に恐ろしかった」
前田俊夫さんは、とある有名温泉街の出身である。親族が経営する老舗旅館に勤めながら、地元の消防団に所属していたときに、ある悍ましい体験をしたという。

時は昭和の終わり。その年の夏に大雨がこの地方を襲った。長く降り続く雨により各地で土砂崩れが発生し、観光客の足に影響を及ぼすだけでなく、温泉街を流れる川が氾濫危険水域に迫り、自治体から正式に災害危険地域の住民や宿泊客などの避難勧告が出される事態に。俊夫さんはじめ、消防団員たちは警察や消防と協力し、地域の見回りや避難の呼びかけをすることとなった。

普段は穏やかな川が濁流と化して勢いを増すなか、上流のダムが緊急放流を検討しているとの情報が入った。温泉街をとおるメインストリートたる国道は隣県へと繋がっており、その途中山頂付近にはダムがある。道中いくつかの集落があり、土砂災害の危険性が高まるなか、住民への避難の呼びかけが必要との判断から俊夫さん所属の消防団が請け負うことになった。このとき俊夫さんは「正直勘弁してくれ」と思ったそうであるが、そうも言っていられない状況であった。

消防車に乗り込み、急ぎ山道を登り始める。同乗していた団員と損な役回りになったことを嘆きながらも、責務を果たすべく警鐘を鳴らしスピーカーで避難を呼びかけていく。容赦なく降り続く雨は側溝から溢れ、道路を勢いよく流れていく。その光景はやや大げさではあるが“水道管が破裂したかのような”という表現がこの上なく合う程だったという。
そんな雨水の行く先は、山間を流れる小さな沢のような川。登っていくにつれ川幅は狭くなっていくのであるが、それに反比例するように濁流の勢いは増していく。ここもいつ溢れてもおかしくないような状況になりつつあるなか、土砂崩れの危険も増しており心底恐ろしかった。

それでも消防団としての責務に駆られ、団員たちは命がけで避難を呼びかけた。地図を見ながらこの先にあと2つ3つの集落を残すところまで来たとき、土砂崩れにより道路が塞がれ先に進めなくなってしまった。まだ住民が取り残されているかもしれないとは思いつつも、とても先に進むことはできない。のっぴきならない状況に。俊夫さんたちは引き返すことを余儀なくされた。その場には小型とはいえ消防車がUターンできる程のスペースはなかったが、少し下った先にやや開けた場所があったことを思いだした。そこまで消防車をバックで進めなければならないことから、俊夫さんともう一人の団員が誘導役を買って出た。

時刻は16時を回り今時期であれば山間とはいえまだ明るいが、どんよりとした空模様ですでに辺りは暗い。雨合羽を着て手には誘導灯を持った俊夫さんたちが、消防車の誘導を始めた。轟音響かせる濁流のせいでなかなか声は届かないが、必死の誘導の甲斐あって消防車はゆっくりと来た道を引き返し始めた。ようやく開けた場所に着き、やっと一息ついたときだった。

大きなサイレンが山間に響き渡り始めた。これまで聞いたことのないような低く不気味な音が鳴り続く。何事かと思ったが、もしかするとこれが緊急放流の報せではないかと一同は思った。とすれば例の山間を流れる川が氾濫してもおかしくない。俊夫さんたちは半ば覚悟を決めていたという。

それから間もなくして・・・だ。
上流から“ドドドドドーッ”という物凄い音がし始めた。その音から察するに“いよいよ緊急放流が始まった“と団員達は身構えた。ただでさえ水嵩が増した川である。それほど広くない川幅を考えれば、緊急放流によって押し寄せるダムの水が一気に溢れ出るのは間違いない。とすれば自分たちは濁流に飲まれるだろう、そんな恐怖が濁流と共に押し寄せてきた。

俊夫さんは迫りくる音を聞きながら「どうにでもなれ」と腹を括った。もう一人の誘導役も同じ気持ちだったようで、二人は顔を見合わせて互いに表情を強張らせていた。このとき別の団員が、上流を指さして大声をあげた。
「おい!あれ見ろ!」
指さした方向から、とてつもない濁流が押し寄せてきた。川幅いっぱいに今にも溢れんばかりの濁流が押し寄せてくるではないか。あんなのに飲まれたら助からない、そう諦めかけた俊夫さんたちの目に信じがたいものが飛び込んできた。

・・・人だ

人が濁流に押し流されている

上流の集落の人が巻き込まれたのか

いや、何かおかしい・・・

一人二人じゃない

何十、何百という人が濁流に飲まれているのだ・・・

勢いよく流れていく濁流のなかに、数えきれない程の老若男女の姿があった。見た限り誰もが服を身に着けておらず全裸であったという。藻掻き苦しみながら、下流へと消えていく。

「この世の終わりかと思いましたね」
俊夫さんはこのときの様子をそう語る。溢れるギリギリの水位で目の前を流れていく様は、あまりにも恐ろしくそして悍ましかった。数えきれない程の人々がただ黒く濁った水に押し流されていく光景を生涯忘れることはないと俊夫さんは言う。

呆然とその光景を見ていると、再びサイレンが山間に鳴り響いた。そうしてサイレンが鳴り終えた頃、濁流から人々の姿は消えていた。

この世の終わりともいうべき光景を目の当たりにし、何が起きたのか理解が及ばぬまま、しばらく呆けることしかできなかった。少し冷静になりこの上の集落の人々が濁流に飲み込まれたのでは?と思った。にしては流された人の数があまりに多い。衣類を全く身に着けていないこともあまりに不自然だ。やはり考えても考えても答えは見つからない。

しばらくして運転席の団員が声をあげた。「早く戻ろう」と。そうして一同は消防車で山を下り始めた。今見た光景が脳裏に浮かぶが、誰一人として口を開くものはいなかった。重苦しい雰囲気のまま、終始無言が続いた。ようやく見慣れた街並みが見えてくると「助かった」と誰かがポツリと口を開いた。

その後、集会所に戻るとなかなか戻らなかった消防団員たちを皆が皆心配していた。無線を入れたが返事が無かったという。無線連絡がなかったことや自分たちに起こった様をありのまま説明したが、なんと緊急放流はおろかサイレン一つ鳴ったという事実はないと言われた。

1/2
コメント(0)

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。