担任は一時間目の準備があるからか、ホームルームが終わってないのにお喋りしてる俺たちを注意することもなく、さっさと教室を後にする。
周りは、何となくしーんとしてるっていうか、話してる奴もいるんだけど、明らかにこっちが気になって聞き耳を立ててるって感じだった。
「……昔さ、千葉に住んでたこと、覚えてる?」
千葉……ああ、確か五歳の頃、半年くらい住んでた気がする。
うちの父親はいわゆる転勤族みたいなやつで、小さい頃から何回も引っ越ししてた俺は、引っ越し先で出会った人間をあんまり覚えてないんだよな。
仙台とか、高崎とか、西は岡山まで行ったなー。
でも、千葉は特に覚えてなかった。というのも、半年という短い期間だったのもあるけど、そもそも誰かと遊ぶ機会もなかったからな。
当時は保育園に通ってたんだっけとか考えてたら、「約束も、忘れちゃった?」と、少し悲しげなトーンで網野は言う。
ていうか、そりゃあそうだろ。だって千葉どころか、網野の顔自体思い出せないんだから。
いや、もちろん朧気ながら当時住んでた団地の形状は覚えてるけどさ。
……団地?
あれ……そういえば――
「陽ちゃん、私と遊んでくれたんだよ、いっつも。二人で公園で砂山作ったり、ブランコ乗ったり、探検したりとか」
探検……あれ、たしか隣に住んでる女の子と夕方まで遊んでて、帰りが遅いって心配した親に殴られた気がするぞ。
「いっつも一緒だったんだよ。私、友達いなかったし、陽ちゃんしか遊んでくれなかったから」
「……あー、なんかちょっと思い出したかもしれない」
「私には陽ちゃんしかいなかったから、なんでも言うこと聞いたんだよ」
「ふーん。俺、どんなこと言ってた?」
「俺の前を歩くな、後ろを歩けーとか。俺が飽きるまで今日は丸くて飛びそうな石を捜すんだーとか」
なんか、如何にも子供っぽいセリフでちょっと赤面してしまう。
俺って実は亭主関白なのかな。
「身体に触らせろとか、ほっぺた舐めさせろとか。恥ずかしかったし、ちょっと怖かったけど、でも我慢したんだ。嫌われたくなかったから」
ちょっとちょっと、網野さん? 周りのクラスメイトが引いてるんですけど?
「あ、あー、そっか。そういえばそんなこともあったかな。いや、うちの兄貴の影響でさー」って言い訳を遮るように、網野は続ける。
「今でも私、陽ちゃんの言いつけ守ってるんだ。私がシャワー浴びてて陽ちゃんを待たせちゃった時、二度と風呂に入るなって言われたから、あれから一度も入ってないし、歯磨き粉を陽ちゃんの上着につけちゃった時に、二度と歯磨き粉すんなって言われたから一度も磨いてないよ。傘をぶつけちゃった時に、二度と傘差すなって言われたから土砂降りでも差してないし、俺以外の男と話すなって言われたからお父さんのことも無視してるし、野菜なんて食べるなよ肉食えって言われたからお肉しか食べてないし――」
「ちょ、わかった、わたったって」
「犬は殴って言うことを聞かせるんだって言われたから、吠える犬は全部殴ってるし、忘れちゃいけないことは紙に書いて食べろって言われたから毎日食べてるよ。あとは、あとは――」
止められなかった。俺には網野を止めることなんてできなかった。
「あと、お前はブスなんだから、俺以外の前で笑うなって言われたから今までずっと笑わなかったの。でも陽ちゃんに会えて、嬉しくて笑っちゃった。ごめんね? でもいいんだよね、陽ちゃんの前だから」
クラスメイトは誰も笑ってなんかいなかったし、俺たち2人に向けられた視線に込められた感情は、純然たる恐怖のみだった。



























これはどちらが異常なのだろうか。
でも歯磨きしないとかお肉だけ食べるとか親がなにも言わなかったのか。
これは網野さんしか知らないのだろう。