記
「でも死に至らせたのは?」
母
「それは偶然です。まさかあんなに重くなるなんて思わなかった。叩いたときも、あの時も、そんなつもりは一切なかった。だから殺すつもりなんて……絶対に。」
記
「なぜ助けを求めなかったのですか?」
母
「助けなんて求めても無駄です。誰も助けてくれないし、私が弱いだけだって言われるだけ。私があの子の世話をするのは当然でしょ?周りに頼るのは甘えです。」
記
「自身の行動についてどう思いますか?」
母
「後悔はないとは言いません。でも、あの子が悪いんです。私に向かって暴れて泣き叫んで、私を困らせて……私だって人間。完璧な母親なんていません。」
記
「子どもに愛情はありましたか?」
母
「愛情?もちろんありますよ。でもそれと躾は別です。愛情があるからこそ、厳しくしなきゃいけないんです。甘やかしてたらもっと悪くなってた。」
記
「今回の件について、一言お願いします。」
母
「私だけが悪いわけじゃない。あの子が悪いんです。誰かに責められる筋合いはない。私はただ、普通の母親だっただけ。」
取材を終えて。
彼女の言葉は、自己弁護と正当化に満ちていた。
罪を認めようとせず、すべてを子どものせいにする姿は、醜く、救い難い。
しかしその矛盾の中に、恐ろしいほどの自己中心性と現実逃避が見え隠れしていた。
【独自取材】虐待死事件――我が子を「悪い子」と切り捨てた母親の歪んだ正当化に潜む闇
福岡県のある町で起きた、幼い命を奪う痛ましい虐待死事件。
今回、加害者である母親に直接取材を試み、その言葉から見えてきたのは、想像を超える自己正当化と責任回避の姿勢だった。
「泣き止まないから仕方がなかった」
「私が怒るのは当然」
「愛情はあるが、躾としての暴力は必要だった」























その子かわいそう
5年生
かわいそう
育児ノイローゼになった妻の元に子どもをおいて一人逃げたクソ旦那も、立派な殺人者だと思う。