ある晩、21時ごろに寝て、その2時間後の23時過ぎ位に、母に起こされた。
当時、畳の部屋に布団を敷いて寝ていたのだが、母に優しくポンポンされて、
「〇〇ちゃん、起きて、起きて」と起こされた。
寝ぼけながら体を起こすと、襖の向こう側の食卓がある部屋のテレビは付いていて、テーブルの上には、夜ごはんに食べたお弁当のカラやペットボトルがそのままだったのが見えた。
母はそのころ、夜ごはんのあとにテレビをぼっーと見て、ダラダラすることが増えていたので、わたしは勝手にさっさとお風呂に入って寝ることが多かった。
その日もそうだったので、“お母さんまだ起きてたんだ”と思った。
「ドライブに行くよ」と言われて、子どもながらに喜んだことをよく覚えている…
休日に遊びに連れて行ってもらうことも減っていたので、平日の夜にドライブという非日常に妙にわくわくしてしまい、今思い返せば、違和感だらけの母の様子を受け流し、言われるがままに、寝巻の上からジャンパーを着て、財布だけ持った母に着いて行って車に乗った。
「海を見に行こう」そう言った母の声や表情からは、楽し気な雰囲気は一切なく、それを見て助手席で身が固くなった。
一か八かだった。
出発してから、しばらく経つと頭も冴えてきて、これがただのドライブではないということは感じ取れた。
でも、心のどこかでは、気のせいであってほしいと思っていて、「お母さんどうしたの?」
とか、「何しに行くの」が何故か言えなかった。
もともと、車に乗るのが好きな子どもだったので、夜中のガラガラな道路や、一言も話さず、走行音だけが響く静かな車内は、緊張もしつつ、心地よくもあり、という不思議な空間だった。
途中、24時間営業のスーパーへ寄って、トイレを済ませたり、食べるものを買って車内で食べたりして、空が明るくなるまで母は車を走らせた。
わたしは、途中でちょくちょく寝たり起きたりしていたのだけど、空が明るくなったころには、“もう明日は、たぶん学校へは行けないな”と、子どもながらに分かっていて、悲しさと寂しさと、これからどうなるんだろうという不安で泣きそうになっていた。
当時、土地勘は全くなかったが、今になって分かることは、県の真ん中から、端の方までドライブしていたこと。
母は、目的地があって車を走らせていたわけではないので、あの場所に意味があったわけではないと思う。
わたしの住んでいた県は離島なので(こう書いてしまうとどこだかバレてしまいますね?)県の端の方は、随分と田舎で、細い砂利道をしばらく走らせた先にある、地元民のみぞ知るようなシークレットビーチへ行き着いた。
海を目の前にして車を停めると、母は堰(せき)を切ったように泣き出した。
ハンドルを掴んだまま顔をうつ伏せて、うめくように泣くのでとても怖くなり、「あ母さん!!どうしの!?」とわたしも一緒に泣き喚いた。























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