【神のみぞ】god knows【知る】
投稿者:肩コリ酷太郎 (5)
ドアを隔てた隣の電車にいるその短髪でスーツ姿の男性は、
もう10年以上も会っていないとはいえ、間違いなく、
高校時代の友達、あの西園寺!
気づくと西園寺はすぐに笑顔を浮かべ、こちらと同様にスマホの画面を見せた。
『佐楢美?』
混み合った車輌内で思わず笑い声を上げてしまったけれど、そこでどちらも発進の時間。
乗降側のドアも閉まって、電車が動き出す。
そこで西園寺がまたスマホに文字を打ち込んで、ドア越しでこちらへ見せたのは、
『フェイスブックで検索して!』
帰宅してすぐPCを開いてフェイスブックの窓で彼のフルネーム(仮に)「西園寺 太郎」を検索すると、
すぐに、福岡出身で出身高校も同じ、同年代の、つまり僕の友達の西園寺ご本人と連絡がついた。
その夜のうちにLINEを交換して、すぐに通話してみる。
「お前も東京で暮らしてたなんて知らなかったよ」と問いかけると、
西園寺はこう応えた。
「なんば言いよっと?
今も天神で働きよぅし、東京なんて行っちょらんばい?」
話が見えない。
となると、もし「友達の西園寺」の言うことが本当ならば、
「電車の西園寺」は西園寺の別人ということになる。
であるにも関わらず、ただでさえ珍しい西園寺という姓の人間が、
「友達の西園寺」と瓜二つの状態で、なおかつ
僕という『佐楢美(さなみ)』というこれも非常に珍しい姓と鉢合わせをして、
さらに(ちょっと複雑になるけれどあと少し我慢して欲しい)、
さらに、「電車の西園寺」は「僕という佐楢美」によく似た「僕じゃない佐楢美」と
”互いに呼び捨てに出来る程度には親しい”関係性であると推測できる。
「電車の西園寺」と「僕じゃない佐楢美」はおそらく友人関係であり、
「友達の西園寺」と「僕という佐楢美」もまた同様に友人関係であり、
駅のホームで出会ったのは
「電車の西園寺」と「僕という佐楢美」という、お互いが友人として相手を見間違うほど非常によく似た、
まったくの他人であった、ということになる。
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