父の人生
投稿者:太山みせる (37)
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志郎は父の秘書として、私は事務員として、父の会社で働きました。
父は喜んで志郎に仕事を教え、家でも2人は会社の話を楽しそうにしていました。
志郎はこの地に来て初めて釣りをしてハマり、月に何度か釣り仲間と魚釣りを楽しみました。
私の友達とも仲良くなって、早くも土地に馴染んでくれたので、安心できました。
仕事も家庭も順調で、特に問題はありません。
そんな中、更に嬉しいことがあったのです。
私たちが27才の時です、赤ちゃんができました。
両親の喜びようは凄かったです。
子供の性別が男だと分かって、名前を考えていると、志郎が尊敬する父の字を入れたいと言ってくれました。
父の『成』の字を『じょう』と読ませて、それに一字を足して、『成太(じょうた)』にしようと決めました。
そのことを報告すると、父は照れながらも喜んでくれました。
父は自分の名前は大好きです。
キヨ婆がつけてくれた名前を大事に、その意味である『優しさ』と『成し遂げる』を人生の目標にしてきたのです。
子供の名前が決まった日、洋一さん一家も呼んで、うちでお祝いをしました。
洋一さんもその息子さんも、志郎の釣り仲間です。
楽しく話がはずむ中、父はとても嬉しそうに、
「幸せだー、自分がつくった会社の2代先まで後継ぎができた」
と喜んでいました。
この夜のことは、一生忘れません。
洋一さん家族も加わって賑やかで楽しい中、とても希望に満ちて、この先の幸福を信じて疑わなかった、最後の夜だったからです。
宴会から1週間後、父が倒れました。
自覚のなかった、末期ガンでした。
父は入院を拒否して家に帰りました。
私たちが反対する中、仕事をやり残す訳にはいかないと言い、会社にも行きました。
父の会社は町の支柱です。
町の人が困ることがあってはいけないと言われたら、家族ももう何も言えませんでした。
ですが私には一つ希望がありました。
それは私が、地元で仕事を始めて1年ほど経った頃のことです。
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