父の人生
投稿者:太山みせる (37)
両親に恋人ができたと報告したら、連れておいでと言われたので、夏休みに志郎と帰郷しました。
志郎を見た父は開口一番、
「ハンサムだなー」
と叫びました。
志郎はギョッとしていましたが、私は父が彼を気に入ったのをみて、安心しました。
その夜は母の作った京都料理が振る舞われ、家族全員で志郎を歓迎しました。
志郎の祖母の入院を知った父は、バイトをやり過ぎて勉強や生活に支障があってはならない、と言って無利子でお金を貸すと言ってくれました。
志郎は遠慮しましたが、私は志郎と結婚する気満々なので、借りた方が良いと強く押し、承諾させました。
数日の滞在で、彼は私の両親に馴染みました。
実の親が早く亡くなった分、親というものに飢えていたのでしょう。
その後は父のお陰で、志郎は充実した学生生活をおくれました。
私たちはずっと仲良しで、毎日のようにお祖母さんのお見舞いに行ったり、お互いの家で勉強をしました。
大学を卒業した後は、志郎と共に東京で働きました。
そして社会人2年目の時に、プロポーズされたのです。
両親に報告すると、父から大事な話があると2人して実家に呼び出され、会社を志郎に継いで欲しいと言われました。
志郎は頭が良く、真面目で努力家です。
私も、志郎ならば父の後を継げると思いました。
志郎も、お世話になった人の役に立つなら、自分の力を試してみたいと乗り気になってくれました。
苗字も、結婚後は私の立花姓になります。
いずれ結婚して地元に帰る時は、志郎のお祖母さんも一緒です。
本人の了承もとれたし、お祖母さんも一緒に皆で楽しく暮らしたかったのです。
翌年、私たちは東京で結婚式を挙げました。
志郎の祖母も車椅子で出席してくれて、地元からの招待客は、父が交通費や宿泊費を出してくれたのでたくさん呼べました。
大人数の盛大な式でした。
しかしその2日後、志郎のお祖母さんが亡くなりました。
とても穏やかな顔で、もう何も思い残すものはない、と周囲に言っていたそうです。
地元の町を見せられなかったのは、残念で仕方がありませんでした。
私たち夫婦は東京で丸3年働いてから、私の地元に行きました。
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