父の人生
投稿者:太山みせる (37)
そんな母から押しに押されて、二人は結婚をしました。
父・44才、母・23才の時です。
母の両親は父の人柄を評価してくれて、結婚に反対はしませんでした。
そして父の希望で、苗字は母の『立花』になりました。
猛烈に自分の親をきらっている父は、親の苗字を継ぎたくなかったのです。
父は母も、母の家族も大切にしました。
母の意見を取り入れた立派な家を建て、年に何度も京都の義両親に、孫である私を見せに行きました。
母の両親が病気になった時も、亡くなる時も、父はたくさんのことをしてあげました。
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さて、私が生まれたのは、父・46才、母・25才の時です。
名付けは父がしました。
自分の名前と母の名前を組み合わせて、また『優美(ゆうび)な女性になって欲しい』との思いを込めて、私は『優美』と名付けられました。
父は色々な人を助けました。
事業も拡大して、障害を持った方の療育や雇用促進、お金が理由で進学できない子供の援助も担いました。
どんなに頑固で困った人も、父の高いコミュニケーション能力によって、考え方を変えてくれました。
父は理想の町を作っていったのです。
私は父の娘というだけで、家族だけでなく町中の人に愛され、大事にされました。
※
私は母によく似ています。
子供の頃、父は私を見ると、
「母親似で良かった」
とよく言いました。
大好きな母に似ているのは嬉しいのですが、父のことも好きなので、その言葉を聞くと少し寂しくなりました。
中学校に入った時、もう話しても良いだろうと、父は自分の昔話をしてくれました。
周りから、父が子供の頃は貧乏で大変な思いをしたという話は、私の耳に入っていました。
だからここら辺で、ちゃんと話しておかなければと思ったらしいです。
その時まで、父の両親の物凄さは知らなかったので、私はショックを受けました。
父は両親から受け継いだという理由で、自分の容姿を嫌っていたのです。
ただでさえ不細工なのに、その上 自分の父にも母にも似ているから、鏡で見るのも嫌なんだそうです。
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