あの犬
投稿者:kwaidan (15)
これは、職場の同僚・鈴木さん(仮名)が語った、ある恐ろしい体験談だ。
その日、鈴木さんは目覚めた瞬間に妙な寒気を覚えたという。
朝のテレビではニュース番組が流れていたが、映像はどこか不鮮明で、アナウンサーの口元が映っているのに声だけが遅れて聞こえてきた。
時計を見ると出勤前のいつもの時間。
しかし、何かが違う。いつもの朝にしては、部屋が妙に静まり返りすぎていた。
急いで家を出て地下鉄に乗ったが、車内でも違和感は消えなかった。
吊り革に掴まる乗客の手が、まるで影のように薄ぼんやりとして見えた。
視線を下げると、自分の足元だけが光を吸い込むように暗い。
「疲れているだけだ」と自分に言い聞かせたが、隣の席の女性が何かを小声でつぶやいているのが耳に入る。
ふと見ると、彼女は鈴木さんの方をじっと見つめてこう言った。
「逃げないと、あの犬に連れて行かれるよ。」
その瞬間、地下鉄の車内全体が真っ暗になり、鈴木さんは短い悲鳴を上げて気を失った。
目を覚ますと、自宅のベッドだった。
しかし、妙に記憶が曖昧で、目覚まし時計の針は朝を指したまま止まっている。
混乱しながら部屋を見回すと、冷蔵庫からバナナが消え、リビングのサボテンに白い花が咲いているのを見つけた。
それは長年咲かなかったはずの花だ。
「これはただの夢の続きだ」と言い聞かせるも、その花びらが微かに脈打つように揺れているのを見て、全身が凍りついた。
気味の悪さを振り払うように外へ出た鈴木さんは、数日前に拾った子犬のことを思い出した。
近所の神社で迷っていたその子犬は、あまりに人懐っこく、なぜか鈴木さんをじっと見つめ続けていた。
その目は、犬というより人間のように湿っぽく、何かを訴えるような光を宿していたのだ。
「そうだ、あの犬が何か関係しているかもしれない。」
そう思った鈴木さんは再び神社を訪れることにした。
しかし、境内に入った瞬間、体が動かなくなった。
空気が重い。視界の端で影が動いたように見え、鈴木さんは振り返った。
そこにいたのは、拾ったあの子犬だ。
だが、その姿は徐々に変わり始めた。
毛が抜け落ち、むき出しの皮膚が湿った音を立てるように裂けていく。
目は暗い穴のようになり、
体から溢れ出す黒い液体が地面に吸い込まれていく。
その液体の中から無数の手が伸び、「戻れ、戻れ」と鈴木さんにささやきかけた。
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