鏡の向こうの住人
投稿者:kwaidan (17)
これは、友人から聞いた話だ。
最近、奇妙な夢に悩まされているという。夢は、どこかに存在しないはずの古びた町で始まる。瓦は剥がれ、建物の壁には深いひびが走り、町全体が崩れかけているような様相。音一つしない重苦しい静寂が漂い、空気は冷たく湿っている。それにもかかわらず、朽ち果てた風景には奇妙な美しさが潜んでいた。不安感と共に引き寄せられるような感覚が常に付きまとっていた。
最初はただの夢だと軽く考えていたが、ある日、旅行先でふと立ち寄った町が夢の風景と完全に一致していることに気づいた。偶然と思いたかったが、夢で見た出来事が次々と現実に再現されていく。夢と現実の境界が次第に曖昧になり、違和感が徐々に恐怖へと変わっていった。
夢の中、町を彷徨っていると、突然目の前に巨大な鏡が現れた。鏡に映る自分は冷たい無表情で、瞳は深く暗く、こちらを値踏みするように見つめている。口元には微かな歪みがあり、まるで嘲笑されているかのような不快さがあった。恐怖に駆られ、思わず手を鏡に伸ばすと、その瞬間、手が鏡に吸い込まれた感覚に襲われた。現実感のない感覚がリアルに肉体を支配し、底知れぬ恐怖が押し寄せてきた。
気づくと、見知らぬ部屋に立っていた。古びたタンスや傷だらけのテーブル、剥がれかけた壁紙が黄ばんだ空間。湿気と埃の匂いが充満し、部屋全体に長い時間が止まったかのような重苦しさが漂っている。薄暗い光が窓から差し込む中、部屋の隅には長い黒髪の女性が立っていた。無言のまま悲しみを湛えた瞳がこちらを見つめており、涙が静かに頬を伝っていた。目が合った瞬間、言葉では説明できない無力感が全身を包んだ。
目覚めると、全身汗だくだった。だが、真の恐怖はその後に訪れた。仕事で宿泊した古い旅館の部屋が、夢の中で見た部屋とまったく同じだった。家具の配置、湿った空気、窓から差し込む微かな光――全てが寸分違わぬ再現だった。
翌朝、旅館の主人にその部屋のことを尋ねると、顔を曇らせながら話し始めた。数年前、ある女性がその部屋で鏡の前に立ったまま忽然と姿を消したという。主人の声には震えが混じり、その出来事が彼にとってもまだ消えない恐怖であることが伝わってきた。鏡はすでに取り外され、倉庫にしまわれていると言われた。
倉庫に案内され、埃をかぶった鏡を見た瞬間、全身が凍りつくような感覚に襲われた。それは夢で見た、あのひび割れた鏡そのものだった。恐る恐る鏡を覗き込むと、ぼんやりと消えた女性の姿が映り込んでいた。涙を流しながら、手を伸ばしてくるその姿に、凍りついた心の奥底から彼女の呼び声が響いてくるのが分かった。
それ以来、あの夢は見なくなったが、彼女がどこかで待ち続けているという感覚が消えることはなかった。鏡を見るたび、彼女の姿が再び現れるのではないかという不安に心が囚われ、逃げられない感覚が胸を締めつける。鏡の前で感じた冷たさ、その背後に潜む不気味な静けさが、日常の中にじわじわと浸透してくる。ふと目を閉じるたび、あの冷たい手がまた自分に触れる瞬間が蘇り、夢と現実の境界が再び揺らぎ始める。
何が彼女をあの場所で消えさせたのか。その答えを見つけない限り、あの存在は決して消え去ることはない。そして、鏡の向こうで待ち続ける彼女の影が、日常の隅々に忍び寄り、いつまでも自分を見つめ続けている感覚が、重く心にのしかかり続けている。
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