特攻で散った兄ちゃんへ
投稿者:みやび (3)
兄ちゃん、父ちゃんが昨日死んだよ。
兄ちゃんが特攻で死んでから、15年が経ったね。父ちゃん、沖縄へ行きたいってずっと言ってたけど、行けないままだった。兄ちゃんの骨はなくても、きっと魂は家に帰ってきてるよね。
兄ちゃんの命日の4月6日、家では肉や魚を食べない。今でも兄ちゃんを偲んで、母ちゃんもミキ子も、菊の花を持って墓参りへ行ってるよ。
「泣くな、俺は軍神になって帰って来る」
兄ちゃん、そう言ってたね。特攻隊は神様になると騒がれ、兄ちゃん新聞にも載ったし、僕だって兄ちゃんは永久に、名誉の戦死として崇められると思ってた。でも、日本が負けた後は違ったんだ。
2年、3年して東京へ戻ってきた近所の人達は、兄ちゃんを「志願兵なんだろう」って蔑むし、裁判にかけられた日本は米英の顔色を覗って、特攻で散った兄ちゃんの悪口を言っていた。
兄ちゃんに憧れて、特攻隊員になりたいって言ってたタケシも、タケシの母ちゃんに影響されて、兄ちゃんのこと、犬死したヤツって言うようになった。気づけばタケシももう23歳。長髪にして裾の長いズボンを履いて、ミニスカートの女の子を連れて歩いているのを見かけたっけ。
兄ちゃん、18歳の兄ちゃんは死ぬことを恐れてなかった。むしろ僕には、兄ちゃんが死ぬことで、世間にもてはやされるだろう自分に酔っていたように感じたんだ。
若さ故か、楽しいことなんて大して無かったからか、兄ちゃんは先の人生より、死を考えていたんじゃないかと思う。
兄ちゃんは、戦争で民間人が殺されるのとは違う、自分は特攻隊員だから神様になるとか、家族れ兄ちゃんの恩賞を受けられるからとか、軍人としての死をとんでもなく美しいもののように言っていたけど、そんな世の中にはならなかった。
ミキ子は25にもなるのに結婚もせず、家族の面倒をみている。父ちゃんは昨日死んでしまったし、母ちゃんは僕とミキ子と、これからどうやって生きてゆこうか、頭を抱えているみたいだ。
戦争が終わったから、何も心配せず暮らしていけた訳じゃ無い。10年くらいは物も無く、食べるにも事欠き、大変だったんだ。
それなのに、僕はスイトンを食べることができない。噛んだからって、プチュっとした感触や液体が出てくるはず無いのに、口の中に入った瞬間の、あの丸みを帯びた柔らかさが、あの時の記憶を蘇らせてしまうんだ。
ミミズは、なんだか泥くさかったね。温かい土地で育ったものは良く肥えて、肌色・土色以外も口にしたもんだ。よく噛むと、歯が皮を突き破ってグニグニした肉の食感が残ったし、踊り食いだから口の中でまだ動いていることも多かった。芋虫も、幼虫も、カブトムシも、色んな虫がご馳走だった。
捕虜になる前、3ヶ月ほどの出来事なのに、食べたものを思い出せるなんて不思議だよね。
兄ちゃん、僕は生きているよ。
ミキ子は、結婚もせず、僕のシモの世話までしてくれている。便も尿もだけど、帰って来て数年で、ムラムラしてくる気持ちをミキ子に話したんだ。
兄ちゃん、僕は妹を抱くような真似はしないよ。抱きたいと思うようなことがあっても、僕がミキ子に敵うはずないだろう。
兄ちゃんは死に、僕は生きている。
父ちゃんは、長男を亡くした辛さも、中国での事も、空襲も、食料難も、乗り越えることが出来なかったんだ。
父ちゃんは、長男を戦争… それも特攻で亡くしてしまった。
次男は負傷兵となり、結婚も子どもも無いし、働くことすら出来ない。
三男のケンジと四男のヤスシは、あの3月10日に、家と共に焼け死んだ。じいちゃんばあちゃんも一緒に、兄ちゃんより先に仏になっていたんだよ。
父ちゃんは、軍神になる兄ちゃんに余計な心配をさせないよう、電報を出さなかったから…
クミコ姉ちゃんは、20歳からずっと上野の赤線でパンパンをしてる。背中に火傷があるから、タバコを押し付けられたり、踏みつけられたり、酷い目に遭うと泣いていた。今では米兵の大便を食べたり、小便を身体に塗ってみたり、若くない自分でも稼げるように工夫しているみたいだ。
ミキ子は、焼夷弾の雨を母ちゃんと逃げた。屋根に刺さり、あっと言う間に炎が燃え、木造家屋を焦がし… 仕方が無かったんだ。ケンジもヤスシも、じいちゃんもばあちゃんも、生き残ったミキ子を恨んだりしないのに、ばあちゃんを踏み付けてしまったと、置いて逃げてしまったと悔やんで悔やんで、家族を支えようと必死になって生きている。
兄ちゃん、僕は、兄ちゃんの言う通り、志願した。最年少で、世のため人のためになる偉業をしようと僕に勧めたね。
何が怖いのかわからないので解説などいただけると嬉しいです。
解説頂きたいです。
傷痍軍人か…
とてもこわい。想像するだけで息が詰まるよう