文通相手の最後の手紙
投稿者:ぴ (414)
少し体の調子が良くなったので、私に会いたかったけど急に具合が悪くなってこっちに来られなくなったと書いてありました。
だから私はこのすっぽかしを許せたのです。
それまでかやちゃんとの文通は絵がメインで、手紙のやり取りはおまけみたいな感じでした。
しかし、そこから文通をメインにやり取りするようになってきて、私はかやちゃんの体のことを心配するようになりました。
私の周りには体が弱くて学校もいけないような友達はいなくて、それだけに印象が強かったのかもしれないです。
かやちゃんのために、私にできることはないかと考えるようになりました。
次にいつ会えるかと尋ねたところ、かやちゃんは「今はまだ会えそうにない」と返事がきました。
体の具合が悪いらしく、それを聞いてもっと心配になりました。
親などにもよくかやちゃんの話をするようになり、親も私と同様にかやちゃんのことを心配していました。
だからかやちゃんから今〇×病院に入院しているという手紙が来たときに、「今度一緒にかやちゃんのお見舞いにいこうか」と母が言ってくれたのです。
手紙に「お見舞いに行きたい」と、そのことを書いて送ったのですが、その日からかやちゃんからの返事が届かなくなりました。
私も母もすごく心配して、その後も何度か手紙を送ってみたけど、それでもダメでした。
そんなときに、数か月ぶりにかやちゃんからの手紙が届いたのです。
そこには「体調が良くなったので、また公園で会いたい」と書いてあったのです。
私はすぐに「〇月〇日〇時に公園で会いましょう」という手紙を送りました。
その日も生憎の雨で、私は前と同じように傘をさしてかやちゃんを待ちました。
私はいろいろと想像しました。
かやちゃんがどんな子で、どんな声なのかとか、楽しみにしつつもちょっと緊張の面持ちで待ちました。
そしたら軽自動車が止まって人が降りてきたのです。
その人はかやちゃんのお母さんでした。かやちゃんのお母さんはすごくきれいな人で、「〇〇ちゃん?かやと仲良くしてくれてありがとう」と私に言いました。
そしてかやちゃんが先日亡くなってしまったという話を聞いたのです。
私はとてもショックでした。
前回待ちぼうけを食らった日に、急に体調を崩してそのまま治療を続けたけどダメだったと言っていました。
かやちゃんのお母さんはずっと最後まで私と会いたがっていたと言い、もっと泣けてきました。
そのあと私の母とも合流し、初めて会ったのに関わらず、3人でボロボロ泣いてしまいました。
かやちゃんは小さいころからずっと体が弱くて、友達は同じく入院している病院の子供か文通相手である私しかいなかったそうです。
私はかやちゃんに一度も会えなかったことを今もすごく後悔しています。
もっと早く会おうとすれば良かったと今も心から思います。
ただ一つ不思議なことがあるのです。
かやちゃんが亡くなったのは私が一度公園で待ちぼうけをくらったあの日から数日後のことでした。
いい話でした