恐ろしすぎた祖父の最期の言葉
投稿者:胸肉 (4)
この話を友達にするとたいていは『不謹慎』といわれる。
俺にはそんな意図はまったくないし、起こったことをそのまま話にしているだけだ。
無意味に、ビビらせるような狙いもない。今から話すシチュエーションは『誰にでも』起こりうると思う。同じ経験にはならないのかもしれないだろうけどね。だから、もしその時が来たらしっかりと向き合ってみてほしい。大丈夫、一度知ったら忘れないような話だから。
もう五年まえになる。祖父が死んだ。病気でもなく、いわゆる『老死』だ。大往生というやつで、もう90に差し掛かろうとしていた。その二年前に祖母が亡くなっていたから、みんななんとなく覚悟していた。両親も落ち着いていたし、人の死というには妙な気楽さがあった。
葬儀は近くの葬儀屋に頼んだ。俺の実家の近くは葬儀屋が多い。というのも火葬場が近くにあるからだ。子供の頃からそのせいもあってか霊柩車がよく通る土地だった。そういう土地は墓場も多い。小学校の周りなんて墓場だらけだった。霊地というわけではないんだろうけど、市内で有名な不気味な土地といった程度の認識だった。けど、俺は幽霊をみたこともない。怪奇現象にもそれまで一度も出会わなかった。だから、はっきり言えば全く信じてもいないし霊感もない。
で、話を祖父に戻す。葬儀は一番簡素な形式で頼んだ。身内だけで、お坊さんがちょっとお経を読むという手はずだと聞かされていた。一日葬というプランだから本当に地味だった。葬儀場の奥の小部屋に身内数人が集まっていた。花も対して飾らない葬式というのは不思議な光景だった。白色の薄い着物みたいなものを着せられた祖父は目を閉じている。死に装束というは現代だと滑稽でさえあった。顔色なんかは生きてる頃より血色よく見えた。死体というのはそういう処理をするんだとその時に聞かされた。そうそう、鼻のなかに詰め物をしているのがなんだか可笑しくて、そればかり気になったのを覚えている。お坊さんが来るまで30分程度かかるらしく、その間ずっと死体を観察していた。両親と兄貴は葬儀場の人と世間話を続けている。俺は葬式なんて初めてだったから、死体を放って話し込んでいる家族に妙な冷たさを感じた。
無神論とかそういうわけでもないけどさ、天国も地獄も信じられない俺には葬儀というのは無意味な儀礼のように感じていた。死んだら、やっぱり無になるんだと俺は思っている。祖父はそういう意味ではもうよくできたマネキンだった。
それから、棺の置かれた小部屋に祖父の死体と20分ぐらい対面していた。本来は大広間で葬儀をするんだろうけど、一日葬という簡素な葬式では狭い部屋しか使えないそうだ。小さい部屋に死体と2人というのはなんともいえない気分だ。20分も経つとさすがにすることがない。暇を持て余したので、不道徳にも死体に触ってみたくなった。いいのか悪いのかわからないが、死体に触れるなんてこういう時だけだから。それに、最後に祖父に触れておきたかったというのも嘘じゃない。そっと指先で祖父の手に触れた。死体は冷たいというけど、本当に冷たかった。ああ、死んでる。と、妙な感想が漏れた。温度のない肌は 不思議と清潔感を感じた。生きてた頃の新陳代謝の方が汚いようで、むしろ死体になったときの方が俺たちは清らかなんじゃないのかとさえ思えた。
ため息がでた。感傷的にもなっていたし、両親たちは会話が途切れたのか向こうで静かになっていた。指先を祖父の体に沿わせて動かしてみた。視線は自分の指の先に向いていた。体のどこを触っても冷たく、なつかしい皺だらけの手もシミのある足もみんな二度と動かない。ふと視線を顔の方に向けた時、息が止まるかと思った。
祖父は目を開いていた。いや最初は確実に閉じていたはずだった。それなのに今はまぶたが完全に開いて、俺の顔を無表情に見返している。一瞬とまどった後、どういう訳か死体というものがそういう挙動もするんだなと妙な納得をしていた。つまり、筋肉が緩みきってまぶたが開いてしまうみたいなことだ。幽霊だとか心霊現象だとは考えず、ちょっとした『弾み』でまぶたが開いたのだと思った。オジギソウとかが勝手に開くみたいなイメージで。『びっくりさせるなよ、じいさん』と小さい声で不満をささやいた。
祖父の死体はその開いた目で僕をみている。
目には光もなく、眼球は動かない。
僕もそれを見返した。
本当に、芯から悪寒が走ったのは、この一瞬だ。
祖父の口元がわずかに動いていた。
俺の指は祖父の肩のあたりをなぞっていた。その体はしっかりと冷たかった。
それなのに祖父の口からは声がした。
死体が喋った。
『ぃやだ、死にたくない 死にたくない……』
聞き取れたのはそれだけ。それからもしばらくは何か言葉が続いていた。
その声はもはや祖父の声じゃない、聞いたこともない人の声だ。けれど『祖父の口』から出てきた言葉なのは間違いなかった。俺は反射的に手を引いて、両親の方へ駆け出した。ただ、確信していた。誰もこんな話を信じないと。実際死体を調べたが、当然もう亡くなっていて動く訳もない。後からやってきた坊主がそれらしい説法で俺をなだめた。『おじいちゃんは最後に君に会いたかったんだよ』だなんて適当をいわれても全く納得できてなかった。その場はそれ以上何かあったわけはない。それから当然のように火葬場に運ばれ、大きな炉で焼かれた。骨になった祖父を見た時、また何か話すんじゃないかと身構えたが何もいわない。それはもうただの燃えかすのような骨だった。俺は安心することなんてできず、あのときの祖父の声が頭から離れないでいた。
そんなことがあって俺は一つの確信を持っている。『人は死ぬ間際、気楽な気分なんかじゃない』ということだ。大往生でも『死にたくない』なんて言葉が死体から漏れるんだから、やはり死ぬっていうのは本当に恐ろしいことなんだ。消えてなくなるのが人間にとって一番の苦しみなんだろう。怨霊なのか、憑き物なのかわからないけど、祖父の最後の意思は魂の最後の抵抗だった。
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