ログの“欠け”──言葉にすると冷たい。だが彼女はまだ続けた。
「あと、もう一つ。住民からの“個人的な証言”でとても気持ち悪いのがあるんです」
彼女は小さな声で言った。
「ある女性住民が深夜、エレベーターで8階の前で止まったとき、ドアの隙間から“白い影”が見えたと証言しました。影は振り返らず、ただこちらを見ていたと。彼女は一週間後に引っ越しました」
管理会社は公式に何もできない。
警察は“現象を確認できる証拠がない”と判断した。けれど管理会社内では、小さな防犯記録やメモが増え続けていた──勝手に点くランプ、録画の欠落、異常な冷気の記録、作業員のメモ、住民の引っ越し通知。どれも単独では決定打にならないが、並べると不穏で俺の胸はぎゅっと締めつけられた。
最後に、一つだけ確かなことがある。エレベーターの鏡だ。
管理会社の女性が忌々しげに言った言葉が、ずっと頭に残っている。
「鏡に写るものはね、普通は“後ろの自分”だけのはずなのに。あの階の前で止まると、鏡に“余分な影”が写るって言う人がいるんです。自分より後ろにいるはずのない“何か”が、そこにいるって──。誰かが言ったんです。『鏡の中から、振り返る前に見られるのが一番怖い』って」
僕はそれを聞いてから、鏡を見つめられなくなった。エレベーターの中の自分の後ろに、白い布のようなものがあるように見えたら──それはもう、ひとりで帰るべき合図だったのかもしれない。
俺は結局、引っ越した。夜のエレベーターに乗らないまま、夜道の歩きを選んだ。
管理会社の証言と、8階の真相は──完全に解きほぐせないまま、僕の中に残っている。
ただ一つ、確実なのは、誰か(何か)が「乗せてほしい」とランプを点ける日は、また来るかもしれないということだ。
俺は、あの日以来、エレベーターを使っていない。
振り返る前に見られることが、何よりも怖いからだ。

























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