議論は次第にヒートアップし、言葉だけでは収まらなくなった。やがて、村の中は血みどろの争いへと発展した。
家々は荒らされ、井戸や田畑は壊され、互いに手にした棒や刃物で争う。その間も、何かは村の中を静かに、しかし確かに見守っていたという。
争いの果て、死者は出るわ、村は壊れるわで、村人たちは疲弊しきった。そして何かはその混乱の中で、ただ静かに姿を消した。
そして、何かが去った後、村にはようやく静けさが戻った。
だが残ったのは、荒れ果てた田畑と、互いに殺し合った血の記憶。
あれは神だったのか、妖だったのか
村人たちは口々にそう問うたが、誰も答えを持たなかった。
結局、彼らは結論を出すことをやめた。
分からぬものは、分からぬままでいい。そう決めたのだ。
ただ、それでは子や孫の代に伝えることができない。
だから村人たちは、意味を持たない奇怪な文字を寄せ集め、
名前のようなものをこしらえた。
それが「鼃醫鸕鷃瘀龢驥鸜懸蠱」。
老婆は声をひそめて言った。
「……つまりは、意味を持たない名前じゃ。誰も読めぬように、誰も触れぬように……」
俺が恐る恐る口を開いた。
「……じゃあ、その“何か”って、今はどうなんですか?」
中年の男はしばらく黙ってから、声を潜めるように答えた。
「それがなぁ……噂なんだが、今でも出るらしいんだよ。その“何か”が。まあ詳しいことは俺も知らん。ただ、村の者は誰も口にしたがらない」
そう言って男は視線を逸らした。
すると、編み物をしていた老婆がピタリと手を止めた。
「……いや、出る。わしには分かる」
中年の男が驚いた顔を向ける。
「ば、婆さん……?」
俺は思わず尋ねた。
「な、なぜそんなことが分かるんですか?」
老婆の皺だらけの唇がゆっくりと動いた。
「なぜなら……わしが子供の頃にも、奴は来たからな」
声には確信があった。
老婆の目が、針のように細く鋭く光っていた。

























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