祖父が子どものころ、俺の高祖父(ひいひいじいちゃん)から聞いた話。
高祖父(以下A)の家は東北の豪農で、下男や女中も何人かいるような立派な家だった。
親族たちは、自分たちの家が豊かなのはこの家に座敷童がついているからだと、子どものAに冗談めかして話していた。
Aには兄と弟がいて、いつも3人で遊んでいた。仲のいい兄弟だったという。
3人が子どもの頃、Aの家だけ不作が続き、雇っていた人たちも何人か出て行ってしまった。
土地を手放すかどうかという話も出たようだが、そうこうしているうちに、いつも元気だった兄が突然寝込んだ。
Aはまだ幼かったが、急な兄の不調に驚いた。昨日まで山で駆け回っていた兄が、今日になって床から起き上がれないというのだ。
Aと弟は子どもながらに兄の回復を願ったが、空しくも兄はそのまま亡くなってしまった。
しばらくして、Aはある夜に廊下で男の子の姿を見かけた。兄の幽霊だと思ったAは恐ろしくなり、仲の良かった女中にそれを話した。
女中はそれをAの父親に話したらしく、父親はAに「それは兄ではなく座敷童だ」と教えた。しかしAは、あれは確かに兄だと思った。
父親や親族たちはAたち兄弟に、「もうすぐ家はまた良くなる、前みたいに賑やかになる」と晩酌をしながら話していたという。
だが、それからいくばくもなく、Aの叔父(Aの父親の兄)が床に伏せって、すぐに亡くなってしまった。Aの兄と同じ死に方だった。
またすぐに、父親も同じようにして亡くなった。Aと弟は、兄の呪いじゃないかと恐れたが、その後は死人は出なかった。
ただ、家は貧しくなり土地のほとんどを手放した。成長したAと弟は出稼ぎに出て、がむしゃらに働いた。
大人になってからも実家への送金は続けた。年老いた母親は、兄弟に感謝の言葉を残して亡くなった。
母の遺品を整理していると、使いかけの「猫いらず」があった。今では使われなくなった殺鼠剤だが、家に鼠が出たことなどなかったので不審に思った。その原材料はヒ素であった。
Aは、この家には座敷童も兄の幽霊も、ましてや呪いすらなかったのだと悟ったという。

























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