ああ、なんて人生だ。たかだか二十二年しか生きられなかったっていうのももちろん悲しみポイントとしては大きいけど、でもなんか、こんな間抜けな終わり方ってなくない?
でもまあこんなものなのかな、人生の終わりって。災害とかもそうだけど、病気で亡くなる人は、自分で死期なんてコントロールできるわけもないんだし。
そんな風に、達観したような気持ちになった私は、自分の死を受け入れる。
で、目を開ける。
座っていた。
いや、しゃがんでいた。
墓石の前に。
あれ? 天国にしては既視感ありすぎないか?
というか、生々し過ぎやしないか?
「ここは……」
確認するまでもなく、あの広場の墓石の前。
わけがわからない私は、ただただ無言で目の前の墓石を見る。
そこには私の名前はなかった。
どういうことなんだろう。
いったい私の身に何が起こったんだろう。
まあ、考えたってわかるわけがない。
ただ、想像はできる。憶測はある。
要するに、ここは〈セーブポイント〉みたいな場所なんだろう。
ここに名前が刻まれた人間は、死んでもやり直すことができる。
きっと、そんな感じなんだと思う。
自分の服装から察するに、電車に轢かれた時と同じだし、それは墓石にお参りというか、お祈りを捧げた時と同じであって、別の日にタイムスリップしたわけでもないし、新たに作り出されたってことでもなさそうだ。
ということは、ここで祈りを捧げたら、何回でも、その瞬間から人生をやり直せるということなのかな。
これって結構とんでもない話で、たちまち人生がベリーイージーになりやしないだろうか。
悔いがあったら、間違ったと思ったら、いつでもやり直せるのだから。最強のアドバンテージだよね。
「申し訳ない、ちょっといいですか?」
申し訳ないって言葉通り、ほんとに申し訳なさそうな感じで一礼したのはいつもここに来てるおじいさんで、どうやら墓石前からいつまでもどかない私が邪魔だったんだろう。
「あ、すみません」
慌てて数歩移動した私にまた頭を下げて、おじいさんは日課のお祈りをぶつぶつ呟き始める。
邪魔をしては悪いから、とりあえずこの場を去ることにしたのだけれど、自転車が見つからない。
あの時に戻ったのなら、道端に自転車が置かれているはずなんだけどな。


























じいさんは毎日来てるって事は毎日死んでるって事なのか