自衛隊にいた頃、北海道の演習地で夜間訓練があった。
時期は初夏だったが、夜は冷え込む。俺たちは隊列を組んで無言で進んでいた。
そのとき、無線にノイズ混じりの声が入った。
「……こえ……たすけて……あれは……ひとじゃ……」
誰の声かわからなかった。だが、全員の顔がこわばった。
演習地内は部外者立入禁止。しかも夜中にそんな通信が入るはずがない。
通信担当がすぐに無線を調整しようとしたが、声は途切れたままだった。
仕方なくそのまま進軍を続けたが、数分後、先頭の隊員がピタリと止まった。
「……あれ、誰か立ってませんか」
ライトを向けると、遠くに自衛官の制服を着た男が立っていた。
ヘルメットも装着している。だが、何かがおかしい。
「おーい!どうした、誰だ!」
誰かが声をかけた。だが返事はない。動かない。まるで置物のようだった。
小隊長が近づこうとした瞬間、後ろの隊員が叫んだ。
「おい、あれ……影がねえ!」
その声で全員が凍りついた。
ライトを当て続けても、その男の足元には影がなかった。月明かりの下なのに、だ。
小隊長が「全員、退避!」と叫び、俺たちは半ばパニックになりながら撤退した。
振り返ると、あの男は微動だにせず、ただこちらをじっと見ていた。
翌朝、確認のために戻ると、そこには誰もいなかった。足跡もない。
だが、不思議なことに、周辺の地面にはまるで「何かがずっと立っていた」ように、草が円形に枯れていた。
後日、上官からこんな話を聞かされた。
「数年前、同じ演習地で、夜間訓練中に一人の隊員が行方不明になった。装備ごと消えて、未だに見つかっていない。……無線に助けを求める声だけ残してな」
俺たちはそれ以上何も聞かなかった。
あれが誰だったのか、今もわからない。
ただ一つだけ確かに言えるのは、**あいつは俺たちを“見ていた”**ということだ。
























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