祠の奥には白い何かが、今日も“在る”。
彼は静かに膝をついた。
そこに祈る気持ちはなかった。
ただ、認めるためだった。
自分は“知っていた”。
かつて、ここに来た。
あるいは、この神に“選ばれた”ことがあった。
「なぜ わすれたの」
「なぜ うみを でたの」
「わたしは ここにいたのに」
「いつも よんでいたのに」
その声は、女のようにも、老いたもののようにも、風のようにも聞こえた。
けれどどれでもない。
それは、神の“感情”だった。
「さみしいの」
「わたしを みて」
「あなたを しってる」
「だから はいりなさい」
「あなたも しずんで」
佐原は立ち上がった。
祠の奥へと、一歩踏み出す。
木の床は朽ち、足元が沈む。
だが、怖くはなかった。
――ああ、そうか。
ここは“海”だった。
この森も、祠も、記憶も、
すべて、海のかわりだったのだ。
奥に立つ白い姿が、ゆっくりと、手を伸ばす。
その指先は溶けるように空気に消え、代わりに波音が満ちてきた。
佐原の耳がふさがる。
鼻と口に潮が入る。
だが苦しくない。
それは、帰る感覚だった。
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