ある男性から聞いた話。
彼の実家は米農家をやっている。10年近く会社員をしていたが、先代である親が少し身体を悪くしたのを機に、現在は家業を継ぐべく実家に戻っている。日々の作業を通して親から農業のいろはを学んでいるところだ。
小さい頃に農作業を手伝った記憶はうっすら残っていたが、改めて勉強すると知らないことだらけだ。例えば鳥獣対策。様々な手法があるものの、男性の実家は案山子(かかし)を置くのみ。その案山子は丸く成形した頭部に黒い布を被せてある。そして顔に当たる部分に、雨でも落ちにくい特殊な白い塗料で『皿』のような模様を描く。のっぺらぼうが歯を食いしばっているようにも見える特徴的な見た目をしていた。
「ええ時期やし、そろそろこん案山子についても教えよか」
ある日、父がこう話しかけてきた。効力を失う前に、一定の周期で対応するらしい。しかし『効力』とはちょっと変わった言い回しだ。経年劣化のことをそう言っているのだろうか。
これから自分達でこしらえるのかと案山子の材料を尋ねると、
「ぁん?あげなモノ、普通の人間につくれるかいな」
父はこう答えた。
父の言葉の解釈に困っていると、インターホンが鳴った。玄関まで出向くと、ダークスーツにシルバーグレーのネクタイを締めた背の高い男が居た。ぱっと見は普通なのだが、なんだろう、どこか反社っぽい…
「いつもお父様にはお世話になっております」
男は『シギ』と名乗った。田んぼの田に鳥で『鴫』一文字が苗字。今回は息子も立ち会わせる旨を父が伝えると、シギは爽やかに笑い、よろしくお願いしますとこちらに一礼した。いかにもやり手のビジネスマンなのが余計それっぽい。実家に住んでいる頃は全く知らなかったが、案山子についてはこの業者に頼んであるようだ。
シギに促されて表へ出ると、すでに大きな白い布が広げられており、その上で神主のような格好をした10名ほどの人間が何やら準備をしていた。案山子と同じ『皿』が描かれた黒い布で、みんな顔を隠している。
「それでは執り行います」
シギは父にそう言うと、『皿』たちに向かってはじめてくれと声をかけた。
ドサドサッ
男性は思わず息を呑んだ。
3名の『皿』が白い布の真ん中に集まり、動物の死骸を無造作に置いたからだ。それもかなりの数。
残りの『皿』は遠めにそれを囲むような円をつくる。程なく、円を形作っている方の『皿』たちが一斉におおおおぉぉ…と何かを唱え始めた。お経のようだが何語かもよく分からない。聞いているとなんだか不穏な気持ちになる旋律だ…
と、真ん中の3名が刃物で死骸をぶつ切りにし始めた。死骸は全て血抜きを済ませてあるのか、流血は殆ど見られない。
死骸が手頃な大きさの肉塊になったところで、3名は作業を分担する。木製のハンマーでリズムを刻みながら死骸を打つ者、古い案山子に火をつけて死骸を焚べる者、そして鈴がいくつも付いた仏具のような物体をシャンシャンと喧しく振る者。
意味不明な呪文、臭い、煙…それは非常に禍々しい光景となっていた。
見られている…
このとき男性は、錯覚として無視できないほど強烈な視線を山の方から感じていた。
「畜生どもが見よるんよ。いまバラされたんは全部こん山で獲った獣やからな」
視覚、聴覚、嗅覚に訴えかけ、動物達の脳裏にこの光景を植え付ける。この儀式めいた奇行にはそういう意図があると、父が教えてくれた。
作業の締めくくりに『皿』たちは全員で大声を上げて嗤った。
ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ…
汚い声が響きわたる夕焼け空の色は、いまだに脳裏に焼きついて離れない。
シギは帰り際、男性にこう話したという。
「案山子が動物避けになるのは、動物たちがヒトを恐れるからなんです。でも、生物としてのヒトはあまりにも非力です。相手はそれに気づきつつある。そのため、私達は力ではなく知恵で闘わねばならないのです」
男性は何も言葉を返せなかった。それはシギの言ったことがあまりに正論であるため…だけではなかった気がする。
以来、実家以外でも案山子を見かけるたびに、男性はあの日の光景を思い起こすようになったとか。





















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