戦火
投稿者:琥珀 (5)
私「とにかく寝る場所を探してそっちに移らせよう。場所が悪いのかもしれない」
同僚は無言で頷きました。
これ以上の負担をかけさせまいと、泊まる場所は私が探す事に。
事情を聞いた上司は
「幼児がいると洗濯が必要になるだろう」
と、スキューバーダイビングのダイバーが連泊するゲストハウスを探して、会社の経費で泊まらせてくれる事になりました。ゲストハウスにはキッチンも風呂も洗濯機も備えてあります。
一週間のゲストハウスでの滞在期間を終え、嫁さんと子供は千葉県へと帰って行きました。
あの晩から奇怪な現象は起きず、那覇空港に見送りに行った際には少し元気になった嫁さんと子供がいました。
同僚に引っ越しを勧めましたが、同僚は
「嫁と子供を苦しめた悪夢からは逃げたく無い」と出向期間を終えるまで、あのマンションで寝泊まりをしていましたが、奇怪な現象は起きなかったそうです。
後に営業先で戦火を生き抜いたご老人の話を聞く機会がありました。
「鉄の暴風」は夜中に兵隊や住民が移動する時間に行われ、人の死体や重症で叫び声を上げている人を踏みつけながら必死に逃げたそうです。
朝になると、上陸してきた米軍が火炎放射器やライフルを携えて住民を探しにくるのだと。
ガマという洞窟に死体を積んでその中に隠れていると(洞窟の入口や中に死体を沢山積んでおくと米軍が探しに来ない)、周りから日本軍の特攻の声が聞こえて、火炎放射で焼かれる叫び声が至る所で聴こえたと。
後にわかった事ですが、同僚のマンションは、終戦後に米軍がブルドーザーで住民の遺体を集めた跡地に建てられた慰霊碑のすぐ側でした。
以上です。
私は沖縄出身のものです。
宜野湾は地元ではないのですが、小さいころに祖父母から宜野湾周辺の惨状をよく聞きました。
その時に感じていた、怖い感覚というのをこの話で久々に思い出しました。
この夏は地元に帰る予定なので、その際には宜野湾にも立ち寄り、手を合わせていこうと思います。