「事故か何かだったんですか?」
澁谷がさらに尋ねた時田中さんは静かに首を横に振るとゆっくり彼の顔を見て、またあの生気のない顔で薄ら笑いを浮かべるだけだった。
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そしてそれは澁谷が第一記録保管庫に着任してから一月が経った、ある初夏の昼下がりのこと。
デスクに座った田中さんが、ポツリとこんなことを呟く。
「澁谷くん、人間の精神を破壊する一番手っ取り早い方法はなんだと思う?」
いきなり投げ掛けられた奇妙な質問に、彼は無言で首を横に振った。
田中さんは続ける。
「一つは基本的に誰にでも出来る簡単なものであること。
もう一つはそれをやり遂げるにはそこそこ困難であること、そして最後に、、、実はこれが一番大事なのだがね、
やり終えたものが成果として残らないということ、つまり世の中の何の役にもたたないということだ。
これは私がまだ幼い頃じいさんに聞いた話なんだがね、じいさんがまだ若い時分戦地に赴いた時に実際に体験したことらしい。
日本の南の果てにある小さな島に赴任した彼は、同僚とともに敵軍の攻撃を迎えうっていた。
彼らは鬱蒼としたジャングルの一角に作った小屋を本拠とし、そこで日がな1日を過ごしていたらしい。
その小屋から少し離れたところには数十人の白人や黒人の捕虜たちが檻に入れられていたそうだ。
彼らには十分な飲食も与えられず、不衛生なまるで犬猫のような生活を強いられていたそうだ。
そして彼らは毎日朝から晩まである作業をやらされていたのだが、それをやらされた者のうちほとんどは狂うか自死したという。まあ体の良い人減らしというやつだな」
「いったい何をやらされていたんですか?」
田中さんは澁谷の質問に一回だけ軽くため息をつくと続けた。
「穴だよ」























オカルト的な怖さより普通の人が正気を失って行く様がとても怖い。それが戦時下であれ企業であれ平気で追い詰めて行く人の存在はもっと怖い。
コメントありがとうございます
正に人間の所業こそが恐怖です
━ねこじろう
会社の人達(田中さんを含む)の主人公に対する接し方の違いが緻密に書かれているのが良い!主人公は「訳あり部署」で一人仕事をさせられる孤独感や虚しさ、哀しみを、田中さんとの会話で紛らわしていたのでしょうか。
このお話の田中さんが好きで、時々読みに来ています。総務部資料係の男性は温厚そうですが、本当に主人公に純粋な好感を寄せていたのでしょうか。穿った見方かもしれませんが、小癪な大学の同期が自滅行為をしてくれたので、安堵しているのかもと思いました。