ドタッ
投稿者:綿貫 一 (31)
Iさんは取引先の会社の営業マンで、30代半ばの既婚者だ。
半年ほど病気の療養をされていたが、すっかり良くなられたので、その日は快気祝いという名目で、ふたりして呑んでいた。
暮れも押し迫った居酒屋の店内はにぎやかだった。
しばらく療養中の苦労話を聞いたり、世間話なんかをしたりしていたが、不意に、Iさんが声のトーンを落として語りだした。
「物音……ですか?」
「うん。
『ドタッ』っていう、人が倒れた時みたいな物音がね。
寝室のとなりの部屋から、夜中に――」
Iさんは昨年、結婚を期に引っ越しをされていた。
都心まで1時間ちょっと。
最寄り駅まで徒歩10分。
築年数もそこそこで、周辺環境も良く、家賃もまあ平均的で、Iさん夫妻はとても気に入ったという。
「リビングと、部屋が3つ。ふたり暮らしなら十分な広さだったしね。
実際、3部屋あるうちのひとつはちょっと狭くて、微妙に使い勝手が悪かったから、物置代わりにしていたんだ」
それが、寝室のとなりの部屋なのだという。
「越してきてすぐは気が付かなかったんだけど。
ある日、夜中に目を覚ましたんだ。枕元の時計を見ると、2時少し前だった。
トイレに立って、例の物置にしている部屋の前を通った時に、ドアの向こうから物音がしたんだよね」
ドタッ。
「なんだろうと思って。
立て掛けていた空の段ボールがまとめて倒れたのかなと思って、ドアを開けて、電気を点けて、部屋の中を覗いてみたんだけど――」
室内に、特に異常はなかった。
何かが倒れた形跡もない。
しかし、それなら、さっき耳にした物音はいったいなんだったのか。
「その時はまあ、気のせいだろうと思ったんだけど」
しかしその後も、度々それは起こった。
決まって夜中の2時頃に目を覚まして、『ドタッ』という物音を聞く。
「音に気が付くのは、いつも僕だけなんだ。
もっとも、妻は一度寝たら朝まで起きない人だから、なんだけど」
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