路面電車の怪
投稿者:Nilgiri (3)
運転手の動作は、あらかじめ分かっていたかのように機敏でした。
「ありませんか?でしたら、終点の事務所で両替いたしますので、このまま乗車していてください。」
私は、運転手の手を振り払ってでも降りたかったのですが、あまりにもがっちりと腕をつかまれていて、動かすこともできませんでした。そして奇妙なことに、私が運転手の顔を見ようとしても、どうしても焦点が合わず、その人の顔を認識できないのです。
どうしよう…車内の窓から薄っすらと浮かび上がる赤い鳥居が見えました。その時には、もうここで降りるほか私が元の世界に帰る手段はないという、妙な確信が自分にありました。絶対に終点になんて行ってはいけない、力を振り絞ろうとしたとき、急に誰かに左手をつかまれました。
運転手が握っている腕とは反対側の左手を、包むように誰かが握っています。私がとっさにそちらに振り向くと、さっき声をかけたおばあさんがそばに立っていました。私の手のひらをしわしわの両手で包み込み、手に何かを握らせてくれているのが分かります。感触でわかりました。それは数枚の硬貨でした。
「これ、あげる。使って。」
おばあさんの顔を見ると、さっきまでの無表情とは全く違うにっこりとした表情でした。
「ありがとうございますっ。」
私はおばあさんに早口でお礼を言い慌ててお辞儀をすると、中身を確認することもなく運転手の手に硬貨を押し付け、腕をつかむ手が緩んだ瞬間に電車を降りました。
「おばあちゃん!いいの?」
運転手の驚いた声を背に、私は周囲をなるべく見ないように赤い鳥居めがけて一直線に走りました。いまだ辺りは霧が濃く、鳥居をくぐった神社の境内もはっきりと見渡せませんでしたが、とにかく走って本殿前の賽銭箱までたどり着くと、その隣に座りこみました。
賽銭箱の辺りは、私の記憶と変わらないように感じましたが、私は体育座りをしたまま顔を伏せました。それから、どのくらい時間がたったでしょうか?30分?1時間?
ふいに地面に日が差してきたことに気が付き顔を上げると、霧はすっかり晴れていました。
明るい陽射しの差し込む境内は、普段と何も変わりなく、鳥居の先の道路には車が走り、その向こうにはマクドナルドも見えました。
ようやく肩の力が抜けたような気がしました。思い出したようにスマホで時刻を確認すると8時15分。ホームルームには間に合わなくとも、1限目にはぎりぎり間に合いそうでした。おまけにタイミングの良いことに、そばの停車場にちょうど電車が到着しようとしています。私は夢から目が覚めたばかりのような、ふわふわとした気分で停車場に向かいました。
到着したばかりの電車は、窓の大きい見慣れた車両でした。乗り込もうとする寸前、一瞬だけさっきの電車を思い出し、足を踏み出すのを躊躇してしまいましたが、思い切ってドアをくぐると、当たり前ですが何もかも普段通りでした。乗車しているサラリーマンや学生、車内の座席やつり革、すべていつも通りの光景です。入口のICカードリーダーにタッチして、空いている座席に座りました。何気なく視線を落とすと、自分の左手が目に入ります。
あの時、お金をもらえなかったら私はどうなっていたのだろうか?動き出した電車の中で、おばあさんのしわしわで温かい掌の感触を、私は思い出していました。
きさらぎ駅の路面電車Verのようで、とてもおもしろかったです。仮に小銭を持ち合わせていたとしても、現代の硬貨とデザインが違っていたら、不可ですと言われかねませんね。そのおばあさんは本当に命の恩人でしたね。
おばあちゃん、、
本当の話なら凄い体験ですね。
終点まで行っていたら投稿も出来なかったかもしれないですね。
異世界だったのか、過去にタイムスリップしたのか、乗客の様子やお婆ちゃんの「私は終点まで行くしかないから」という台詞を聞く限り、あの世へ向かう電車だったのか。
色々な解釈が出来る不思議なお話でした。