叉鬼(マタギ)
投稿者:四川獅門 (33)
「当たった!」
木の根元には、丸々と太った野うさぎが倒れている。田淵さんは喜んでマタギ袴に括り付けた。初めて1人で獲物を捉えた田淵さんは、すっかり夢中になって次の獲物を探していた。
それからしばらく経ったが、兎の痕跡は見つからない。日が傾いてきた。
今日はもう帰ろうと麓の村を目指すも、一向に知っている道に出ない。
『しまった。道に迷ってしまった』
途方に暮れる田淵さんの後方の林がガサガサと音を立てて揺れる。嫌な予感がした。
恐る恐る振り返ると、そこには昨日取り逃した手負いの熊がいた。
田淵さんが慌てて銃を構えるも、時既に遅し。息を荒らげた熊の突進に、地面にねじ伏せられた。頬に、熊の一撃。太い爪が顔にめり込むのが分かった。
熊が腕に噛み付き、骨が砕ける音がした。
ボリボリ…… バキッ
「ぎぁああああ!!」
田淵さんが悲鳴を上げるも、熊はお構い無しに腕をあらぬ方向へねじ曲げた。
次に熊は田淵さんの足を咥えて獣道へと引きずった。
『最早これまで』
薄れゆく意識の中、自分を引きずる熊の頭に、何かが振り下ろされた。ゴッと鈍い音がした。
唐突に頭に一撃を受けた熊が咥えていた田淵さんの足を放した。
田淵さんが見ると、1人の見慣れないマタギが立っていた。
白い鹿の皮を纏い、手にはタテ(マタギの槍)を持ち、弓を背負っている。長髪の美男で、最初は女と見間違える程だった。
熊がその男に気づくと、怯えたように逃げて行った。
男は冷たい目で田淵さんを見下し
「小賢しい」
そう言った。男は田淵さんの襟元をグイッと引っ張り、引きずり始めた。
田淵さんは痛みで気を失った。
頭にゴツンという衝撃があり、田淵さんは目を覚ました。
男が手を放し、地面に投げ出されたのだ。
男を見ると、それは白い鹿に姿を変えて、深い山へ消えていった。
田淵さんが呆気にとられていると、そこは村の近くの見慣れた山道だった。
田淵さんはマタギベラを杖に何とか立ち上がり、村へと歩き出した。
静かな語り口が良い
頬に熊の爪の一撃を食らって顔がえぐれなかったのかな?
渋い文体で良い味わいですね。
児童文学の旗手、松谷みよ子の昔話譚(とても異色だった)を思い出しました。
深い専門知識と経験が背景にあるのを感じた
読み応えがあった