兄の声がする部屋

母が「政樹の声がする」といくら私たちに訴えても、私たちは信じませんでした。

そんなわけないと現実的に考えてしまい、母の行動は母が精神的におかしくなっただけだと思い込んでいました。

そして私と父は母を精神病院に通わせるようになりました。

少しでも母に良くなってほしいという気持ちからだったのです。

だけど、母はそれからだんだんとやつれていき、次第に元気を取り戻すどころか、より元気を無くしていくようになりました。

だんだん家族がこじれて、ボロボロになっていくのを感じていました。

悲しかったけど、私の手ではどうにもできませんでした。

そうして父や母との溝を感じながら学生生活を過ごしていたときに、私は深夜にまるで誰かに優しく揺り起こされるようにして、目を覚ましたのです。

さっきまで誰かが私の名前を呼んでいるような気がしました。

目覚めて時計を確認すると時間はまだ3時にもなっていませんでした。

目が覚めるとなんだかトイレに行きたくなり、私は部屋を出たのです。

トイレから出てきたら何か声が聞こえるのです。

私は不思議に思いつつも、声が聞こえる方へと歩いていきました。

そしたら母の声がしたのです。

母が「ねえ、今日は何をしていたの？」という声が聞こえてきました。

ふと見ると、そこは兄の部屋なのです。

兄が亡くなってからも、片づけたくないと母が拒み、兄の部屋はそのままの状態にすることになりました。

私はこんな夜遅くに兄の部屋で独り言を言っている母に心底ぞっとするものを感じました。

けれど、私はその後に聞いた声にびくつくことになります。

母の問いかけにまるで答えるように、兄の部屋から男の声が聞こえてきました。

「今日はずっと勉強をしていたよ」と甘ったるい優しい声がしたのです。

その声は酒やけしてだみ声の入った父の声とは明らかに違ったし、もっと若い子供の声でした。

それは私が覚えている兄の声にそっくりで、私は兄の部屋を凝視してしまいました。

しばらく二人の会話を部屋の前で立ち聞きしていたのですが、本当になんでもない親子のやりとりをしているのです。

勉強は何をしているのかとか、将来どうしたいのかだとかそういう話です。

二人の声はぜんぜん違った声だったし、あまりに会話がスムーズで、母が一人二役しているようには聞こえませんでした。

私は母が誰と話しているのかと気になりました。

だからそうっと部屋のドアを開けて、中を確かめてみたのです。

部屋を開けると、そこには電気が点いていました。

母が生前兄が使っていたベッドの前に座って、相手に話しかけています。