兄の声がする部屋
投稿者:ぴ (414)
誰と話しているのかよく見たくて、私はもう少しだけドアを開きました。
そしたら母が見つめる先のベッドに誰もいないことが分かりました。
やっぱり母の独り言なのかと私が思いかけたときに、ベッドが軋んだのです。
みしみしっと誰もいないベッドから軋む音がしました。
まるでそこに誰かがいるように、私には思えました。
そしてそのベッドの方から「母さんには僕がいるよ」という甘い声がしたのです。
私はドアを半開きにしたまま、その場を去りました。
すごく怖くて、その場にいられませんでした。
それから自分の部屋で恐怖を隠して、眠りにつきました。
そして翌朝、母が父に「昨日も政樹に会ったのよ」という話をしているのを耳にしたのです。
父はとてもげっそりした顔で、母の言葉を聞き流していました。
母の言葉をまるで信じていないと思いました。
母の言う話は私の昨日の夜に目撃した内容そのままでした。
私はそれを聞いて、ものすごく怖くなったのです。
振り返ってみると、母が兄と話したということはよくあったのです。
でも私たちはそれを頭から信じずに、ずっと母の妄言だと思い込んでいました。
だけど実は違うんじゃないかと思ったのです。
実は母は妄想なんかじゃなくて本当の話を私たちにしていたのではないかと思うようになりました。
その後も何度か母が夜に兄の部屋で誰かと話をしているのを目撃しました。
そしてそれを父に相談して、母を取り戻すには家を出るしかないと訴えるようになったのです。
父は最初はまったく信じていませんでしたが、私があまりにしつこく言うので、思い切って違う土地に家を借りて、そこに住むことを決意しました。
家から出るときに、少し後ろ髪を引かれる思いになったりもしました。
だって兄がもし成仏できないままここに残っているとしたら、兄を捨てて私たち家族だけで家を出ることになります。
それに罪悪感がありました。
でもそんな私の悩みを軽くするように、私は家を出るときに耳元で小さく「母を頼むね」とあの優しい兄の声を聞いたような気がするのです。
私の罪悪感から逃げるための空耳なのかもしれないけど、私はあの言葉は兄からのものだったと信じたいです。
あの家を出て、別の家で、別の環境で生活をするようになって、母が兄の話をすることが減っていきました。
いつもぼんやりしていた母がだんだんと明るく目に光が宿るようになりました。
父は本気で安堵したようで、いつも私に感謝の言葉を言います。
母は今は精神病院に通うこともなくなり、元気に主婦をしています。
それで良かったと思います。
怖いというよりいい話