祖父の遺言書
投稿者:ぴ (414)
私の祖父は誰もが認めるくらいに頑固な人でした。
これと決めたらテコでも動かず、よく言えば芯の通った人、悪く言えば融通が利かない人です。
とにかく頑固だけど、祖母にはめっぽう優しい人でした。
若い頃は美人だった祖母に一目ぼれして、何度もアプローチして結婚したそうです。
だから他の人の話には聞く耳持たなかったけど、祖母の話だけは素直に聞き入れる大変愛妻家だったらしいです。
祖母は早くに亡くなって、それを追いかけるように数年後に祖父も旅立ちました。
祖父は会社を立ち上げて大きな遺産があったらしく、遺言書もきっちり残していたそうです。
そのおかげで父も私たちも何の苦労もなく生活できたわけですが、その遺言書の中には財産の分配についてとともに、不思議なことが書いてあったのです。
それというのが息子の3人目の孫の17歳の誕生日にやってほしいことがあるというものでした。
誕生日に孫を家に閉じ込めて玄関の前に塩をまけというのです。
それだけが遺言書の中でも異質で、他とは違っていました。
けれど重要なことのように大きな字で書いており、父にはそれがとても気になったようでした。
不思議なのが息子の「3人目の孫」というキーワードです。
実は祖父が存命のときに、息子である父には恋人の影も形もなかったようなのです。
祖父が亡くなって数年たって、父には恋人ができました。
そして私たち姉妹が生まれたのです。
父と母は私たちから見てもすごく仲のいい夫婦でした。
だけど子供は絶対に2人だけと決めていたらしいです。
思うに父は祖父の奇妙な遺言書がなんとなく引っかかっていたのでしょう。
だから家族に何も起こらぬように3人目を作るつもりになれなかったんだと思います。
私の妹ができたのはほんの偶然で、できる予定はなかった命だったそうです。
だけど、その妹の17歳の誕生日に近づくにつれて、父はだんだんそわそわして周りを警戒するようになりました。
家の前に柵を作ったり、防犯カメラを設置したり、とにかく何かから守ろうとするように神経質になりました。
そうしてやっと妹の17歳の誕生日がやってきたのです。
父は3番目の妹のことは目に入れても痛くないくらい可愛がっていました。
長女と私よりも三女には激甘だったと思います。
そんな妹に「今日は絶対に5時までに帰ってきなさい」と口を酸っぱくして言ったのです。
そう、あの祖父が残した奇妙な遺言書を父は大変気にしているようでした。
けれどその日、妹は学校のテストで追試試験があったらしく、なかなか家に帰ってこられませんでした。
父は校門の前で妹の帰りを待ちましたが、だんだん外が暗くなってきます。
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