大輔と花子
投稿者:ねこじろう (147)
「花子、お前だけだよ、俺の気持ちを分かってくれるのは」
久米はそう言って愛おしげに彼女の頭を撫でる。
すると花子は彼の胸に赤ん坊のように顔を埋めてきた。
その日彼はチンパンジーの檻の中で一夜を過ごした。
それから秋が過ぎ冬になろうかという11月の頃のこと。
F市の地元紙であるF新聞の社会面の端にとうとう
【F市立動物園のアイドル花子がおめでた!】
という記事が載った。
一般にメスのチンパンジーの妊娠期間は約8ヶ月という。
だから順調にいくと花子の赤ちゃんが生まれるのは、翌年の凡そ6月頃になる。
花子の懐妊で何とかリストラを免れた久米は、年明けも動物園での業務を続けることが出来た。
そして春が過ぎ、梅雨がそろそろ訪れるかという頃、花子は無事、男の子の赤ちゃんを出産した。
園内は一気に感激ムードに包まれた。
前もって一般公募で決定した名前は【ジョージ】。
いきなり公開をすると、花子にもジョージにも良くないということで、しばらくは隣にある仮のケージに2匹を隔離して経過を見守るということになった。
そしていよいよ一般公開の日。
その日は朝から小雨がちにも関わらず、チンパンジーの檻の前には赤ちゃんチンパンジージョージの姿を一目見ようと多くの來園者が集まった。
檻の上部には「ようこそジョージ」という横書きの垂れ幕がしてある。
透明の仕切りパネルを通して見える檻の中を、緊張した面持ちで見守る人々。
少し離れたところでは、園長の熊谷が地元紙の記者にインタビューを受けている。その横ではカメラマンがカメラを構えて待っていた。
すると久米は聴衆の前に立つと、拡声マイクで喋り始めた。
「皆様、本日はお足下の悪い中、登園にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
番いのチンパンジー大輔と花子がこのF市立動物園に来てはや10年。ようやく子宝に恵まれることになりました。
これは奇跡としか言いようがありません。
担当の私としましても本当に嬉しいかぎりです。
それではこれより赤ちゃんの御披露目を致しますが、1つお願いがあります。
フラッシュでの写真撮影はご遠慮ください。
それでは、お願いします」
久米の挨拶の後、ケージ内奥の扉が開く。
聴衆たちは一斉にスマホを檻に向けてかざしだした。
花子は元気になったかな?