大輔と花子
投稿者:ねこじろう (147)
熊谷園長は少しイラただしげに新たなタバコに火をつけると、話を続ける。
「きみも分かっているだろうが、ここ数年、当園の来場者数は減少の一途を辿っている。このままいくと赤字が続いて閉園という事態にもなりかねない。
こんな時に、うちで人気のチンパンジーたちに子供でも出来たら、少しは來園者数も増えるのではないか?と思ってるんだよ。
きみもそう思わないか?」
「…………」
久米は俯き無言を続けていた。
すると園長はしびれを切らしたように、最後にこう言った。
「久米くん、うちの経営状態はここ数年最悪を更新している。今年中に花子が妊娠しなかったら、残念だが当園リストラ対象の1人になってもらうからね」
「…………」
久米は唇を噛んで無言のまま立ち上がると「すみません、朝の仕事がありますから」と残して園長室を出ていった。
その日の園の仕事を終え、帰りの地下鉄の椅子に座る久米は正面の車窓に移る自分の姿をただボンヤリと眺めていた。
ラッシュ時間はとうに過ぎているから、車内に乗客は疎らだ。
彼の脳内には、熊谷園長の言った「リストラ」という言葉がぐるぐる回っていた。
─今さら、この歳でクビとかになっても40の俺が行くところなんかあるわけないよ。
独り愚痴ると、1つ大きくため息をつく。
すると、
─ピンポーン
ラインメッセージの受信を報せる音がする。
彼は胸ポケットからスマホを出すと、画面上を操作してメッセージを画面上に表示した。
─ごめんなさい。
急用が出来て、明日お会い出来なくなりました。
今年中は仕事が忙しくて難しそうです。
来年にでも予定が空いたら私からラインしますね。
マッチングアプリで知り合った女性からだった。
─つまりはフラれたということか
彼は一言呟くとラインを閉じてポケットに戻し、再びため息をついた。
翌朝、久米はいつも通り動物園に行くと、餌やりをしたり檻の中や園内の通路の掃除をしたり事務処理をしたりして、夕刻まで過ごしていた。
平日の来場者は少なくて、日によってはスタッフの方が多いときとかもある。
彼がベンチで軽い休憩を取っていると、閉園を報せる場内アナウンスに重なり安っぽい「蛍の光」が流れ出した。
彼はチンパンジーの檻に入ると、大輔と花子を隣にある仮のケージに閉じ込め檻の中の掃除を始めた。
小一時間で掃除を終えると、2頭を再び戻してやった。
そして久米が広いケージの隅っこにある木陰に座り、長靴を履いた足を投げ出しボンヤリしていると、いつの間にかメスの花子がやって来て隣にちょこんと座った。
大輔は岩の上で寝ている。
花子は彼の気持ちが分かっているかのように膝に乗せた彼の手に自分の手を重ねると、心配そうな目で顔を覗き込む。
花子は元気になったかな?