ムロで見てしまったもの
投稿者:神威 (1)
今度は左の方を見ました。
大きな、丸い鏡が置かれていました。その瞬間まで気づきませんでしたが、手前には細いロウソクが2本ゆらゆらと小さな光を放っており、線香立てからはお香が煙っていました。さっきまで、ここに誰かいた…?そういえば、いつも鍵のかかっているムロの入口もきょうだけは開いたままでした。もしかしてここにいた誰かが、いまこの瞬間にも戻ってくるのではないか。自分でも鼓動が早まり、息が苦しくなってくるのがわかりました。
そのとき、引きずるような足音が階上から聞こえてきました。
誰だろう。私はとっさに懐中電灯を消しました。真っ暗なムロは怖かったですが、それよりも黙ってムロに入ったことを見咎められるほうが私には恐ろしかったのです。足音はしばらくなにかを探してうろついていましたが、また近づいてきました。生臭いムロのなかで、私は必死に息を殺していました。背中に嫌な汗をかいて、シャツがじっとりと濡れていました。
ギイーっと云う音が鳴って、とうとうあの小さなドアが開きました。
「あら、開いているわ。奥様ったら駄目ね。坊ちゃん、坊ちゃん、どこですか」
信徒の西川のお婆さんでした。逆光でよく見えませんが、腰をかがめて、小さなドアからこちらの様子をしばらく伺っているようです。ここには私がいないと判断したのか、
「不用心だこと」
と云って、西川さんが鍵束を取り出す音がしました。がちゃり。閉じ込められた!こんなところに!独りで!
幼い私は絶望的な気分で、途方にくれていました。すぐに階段を昇って大声を出せば、西川さんが気づいて助けてくれるかもしれません。しかし、すぐに階段を昇って騒いだら、ムロに入ったことは西川さんだけでなく当然みんなの知るところとなって、こっぴどく叱られるかもしれません。私は動くに動けませんでした。
ため息をついて、私はふともう一度鏡のほうを見ました。
見てしまいました。鏡と線香立てのところには簡易的な祭壇のようなものがつくられていました。そこにはまるで遺影のような写真が立てかけられ、先ほどの生魚だか飯鮓だかわからない異様なものが茶碗に入って、箸が突き立てられていました。お供え物ということなのでしょうか。写真には子どもが映っていました。子どもは、私自身でした。
「わっ」と云う驚きの声を漏らして、私はその写真を見ました。魚の血がはねているのか、写真もところどころ赤黒く汚れているようでした。しばらく呆然としていましたが、懐中電灯を点けることにやっと思い至って、私は懐中電灯を点け、祭壇のあたりを見ました。お墓で見かける卒塔婆を小さくしたような薄い木の板に、墨で名前が書いてありました。私も、父も、弟も、同じ漢字が名前に1字入っているのですが、その名前にも同じ漢字が使われていました(仮に「雄太」とでもしておきましょう。勿論、仮名です)。けれども、聞いたことのない名前でした。親戚でしょうか。わかりません。わかりませんが、私の写真がまるで遺影のように飾られ、私ではない名前のなにかがそこに祀られている。お供え物には腐りかけの生魚。…もう限界でした。
私は必死の思いで階段を駆け上って、泣き叫び、ドアノブを無暗にがちゃがちゃさせたり、ドアを手で叩いたりしました。外から鍵をかけるドアということは、実は内側からでも開けることができたのでしょうけれども、あのときの私は恐ろしくてそれどころではありませんでした。
しばらくすると、西川さんが戻ってきて、鍵を開けてくれました。叱られるかと思ったのですが、西川さんはいつもと同じ調子で、
「あら、坊ちゃん。こんなところに。おひとりで。マア、探検ですか。こんなところにいてはいけません。さあさあ、こちらに…」
と云って、私をお堂にある自分の部屋に連れて行きました。曾祖父の前で正座をする羽目になったのはその30分くらい後のことでした。
曾祖父は怒っているというよりも、正座している私を無表情に見下ろして云いました。
「あれを見たのか」
「鏡のこと?写真?」
「両方。ムロにはミタマが眠っている。あそこで遊んでいるとミタマが、おまえを連れて行く。鏡からおまえを見ている。危ないから、もう入るな」
「ミタマって?あの中に誰かいるの?」
「いる。おまえのお兄さんだ」
「お兄さんなんていない」
私は長男です。小さい弟はいても、私には兄などいません。
「いたんだ。雄太。おまえよりも4つ上のお兄さんになるはずだった」
「……」
「生まれてくるはずだったんだが、雄太は生まれてこられなかった。初めてのひ孫になるはずだったんだ。おまえは、あれを見てしまったんだな…」
そう云ったきり、曾祖父は深いため息をつき、黙って自室に引きこもってしまいました。
私の前に、生まれることなく死んでいった兄がいた。母からもまったくそんな話は聞いたことがありませんでした。そして曾祖父の表情。あんな顔をしている曾祖父は初めて見ました。
これは読ませますね
すばらしい
お兄さんが助けてくれたのかもしれませんね
プロかな?描写がうますぎて引き込まれた
他の投稿者さんとはレベルが違う
北海道、道東出身です
うちにもムロと呼ばれる地下室ありました
うちの場合は狭くて人が入れるような場所ではなかったのでもっぱら漬物やお酒を保存していただだけですが…
想像できてしまって怖かったです
久しぶりに読みごたえのある作品と出会えました。語彙の用い方や表現法に若干未熟さは感じられなくもないのですが、それらが微細なことのように感じられるほど、導入からラストまで一気に引き込まれる作品でした。
面白かったです。ただ、亡くなった子の次に生まれて来てくれた子を疎ましく思う事は考えにくいので、もう少し工夫があってもいいかな
文章、言葉遣いにとても惹き込まれました。
しっとりとしていて、想像力をかきたてられるお話でした。
人間は愛すら歪ませる生き物ですから、曾祖父が投稿者さんを疎んでいたかはさておき、どこかで道を逸れてしまったのかも知れませんね。
死んだ兄の魂を憑依させたら、兄の思い(恨み?)の強さに曽祖父が憑かれてしまった。。。とか?
最初的に自己責任系?
ムロツヨシ?