ムロで見てしまったもの
投稿者:神威 (1)
あれは私が小さな子どものころ、1980年代のおしまい頃のことですのでもう30年以上前になります。ずいぶんと昔のことですし、そろそろ他所様にお話しても問題なかろうと思い、お話します。ただ、あまり言いふらして、みなさま自身の身になにか障りがあってもいけませんから、どうかあまり面白おかしく吹聴することのないようにお願いいたします。
私は北海道の田舎町の出身ですが、母方の祖父母の家は日勝峠を越えて東に行ったさらに田舎の町にありました。嫁さんと結婚するときにずいぶんと反対されて、親兄弟とは疎遠になってしまいましたからハッキリとはわかりませんが、恐らくあそこにはもう誰も住んでいないでしょう。
祖父母はまだ健在だとしてもそろそろ90歳を過ぎているはずです。施設に入ったか、或いはもう鬼籍に入ったかして、あの家にはもういないだろうと思います。祖父母は曽祖父と同居していましたが、その祖父母が現在90歳過ぎのはずなのですから、曽祖父にしてももはやこの世のひとではないでしょう。それに曾祖父はこれからお伝えする出来事で、どこに行ったのかもわからなくなっています。
何でもない田舎町に住む親類の話なのですが、私にはひとつだけ他所様とは異なる事情がありました。曽祖父は、宗教の教祖のようなことをして暮らしていたのです。この宗教は、隣町にある山を本尊とする一種の山岳信仰だったと聞いています。私が生まれる前に最愛のひとである曽祖母が亡くなって、深い悲しみに泣き暮らすうちに、いわゆる神がかりのような状態になり、何でも曾祖父は「死者の声」を聞けるようになったのだとか云うことでした。
曽祖父の仕事にはいくつかの種類があったようです。
まず、依頼人からいくらかのお布施を頂戴して、故人のたましいを自分の躰に憑依させることで、ほんの束の間だけお話をさせるという霊媒のようなことをしていたのだそうです。たいていは、親族の方が亡きご家族にただ再会したくてご依頼されることが多かったようですが、なかには交通事件の被害に遭われた方のご遺族が故人の恨みを晴らすべく依頼する、という穏やかでない話もあったように伝え聞いています。
また、何らかのオマジナイ(「加持祈祷」と云うらしいことを大人になってから知りました)のようなこともやっていたようです。なにぶん小さい頃のことで、詳しいことはわからないのですが、曽祖父のところには、神社にあるような荒縄に白い紙の飾りがあったり鏡が祭ってあったりする一方で、仏像のような鈍い金色を湛える像もいくつか鎮座していたのを覚えています。線香の匂いや煙が立ち込める独特な雰囲気のなか、曽祖父が低く深い声で経文のようなものを唱えて、なにがしかの儀式をしていたのも記憶に残っています。私は祖父母にとっての初孫でしたから、祖父母からも曽祖父からも猫かわいがりにかわいがられたものですが、この儀式にはついては「おっきいじいちゃん、なにしているの?」と尋ねても「子どもは知らんほうがいい」といつもはぐらかされていました。
いまだに曽祖父の宗教についてはインターネットでも断片的に調べることができますが、これがどうも本地垂迹説的な、仏教的な要素と神道的な要素の入り交じる宗教だったようです。高齢の信徒の方たちを引き連れて、四国八十八箇所巡りをしたり、山伏のような恰好をして山に入ったりして修行していたようです。
あのできごとが起こった日は確か、夏休みや冬休みなどの長期休暇ではなく、ふつうの週末だったろうと思います。夏休みや冬休みには決まって一緒に遊び回ったイトコたちの記憶がそのときに限ってまったくないからです。何月何日ということまではわかりませんが、「初夏」という感じの爽やかに晴れた日でした。仏像があるお堂などの宗教施設と住宅とを兼ねた曽祖父や祖父母の家に、両親に車に乗せられて出かけて行ったのだろうと思います。
もっとも、「宗教」などと云われてもよくわからない小学校に入りたての子どものこと、ふつうの家よりもうんと広いその場所が、私は嫌いではありませんでした。いつもお堂の横の和室にいて写経をしている「西川さん」(仮名です)という信徒のお婆さんのもとを、最初に私は訪ねました。
「坊っちゃん、遊びに来たのね」
「うん、西川さんはまた漢字の練習しているの?」
「ありがたいお経を写して修行しているんですよ。先生のお言いつけでね」
「おっきいじいちゃんは?」
「神明先生(僧としての曽祖父の名。仮名です)なら、お部屋でお休みです」
「ねてるの?」
「お勤めで疲れていらっしゃるの。起こさないようにね」
「つまんないなあ。ぼく、探検してくるね」
「危ないからあまり遠くに行ってはいけませんよ」
「はあい」
線香くさい建物から私は外に出ました。眩しい日差しに目を細めたのを、よく覚えています。お堂のなかは直射日光が入らないようになっていて、どうも薄暗いのでした。そしてその薄暗いお堂で、お線香の匂いの立ちこめるなか、ろうそくの火がいつまでもちろちろと妖しく揺れ動いているのでした。そんななかにいて、曽祖父が「絶対にちょすんでない」(絶対に触ってはいけない)と云う真ん中に置いてある鏡の方をじいっと見ていますと、どこからともなく鈴やおりんが鳴るのが聞こえてきて、急に頭がくらくらするような不思議な心地が時折するのです。そのときも、私の足元が急にぐにゃりと斜めに傾きました…。慌てて外に出ると、外の眩しい日差しにほっとしました。世界もまっすぐに戻りました。
外はよく晴れていましたが、春先の北海道では晴れていても15度にも届かないときがあります。爽やかな日差しで、空気も澄んでいましたが、少し肌寒いくらいでした。
私は気を取り直して、外で遊ぶことにしました。
しかし、弟は当時まだ赤ん坊で、イトコたちもそのときには居合わせませんでしたから、一人遊びにすぐに飽きてしまいました。私はなにか面白い物を探して、敷地内をうろうろと歩き回りました。そうして、正面玄関から見ると右手にあるお勝手口のすぐ横にある小さなドアが目に付きました。
それは、曽祖父や祖父母が「ムロ」と呼んでいる空間への入口でした。高さはふつうの玄関ドアの半分くらいで、アルミかなにかでできた窓のない銀色のドアでした。ドアは地下にあるムロへとつながっているものの、暗くて階段だから危ないという理由で、私が行くときにはいつも施錠されていました。祖母になにがあるのか一度尋ねてみましたが、「漬物を漬けている」というような退屈な返事が返ってきて、しばらくはその存在さえ忘れていました。ところが、何気なくドアノブを回してみるとカチャリという音を立ててドアが開いてしまったのです。私は静かにドアを開けて、恐る恐るなかを覗き込みました。暗くてなにも見えませんでしたが、なにか妙な匂いがしてきました。
私は隣のお勝手口にある靴箱の上に、小さな赤い懐中電灯がいつも置いてあるのを思い出しました。その日もいつもどおりに懐中電灯があったので、それを拝借して早速探検を再開することにしました。ぎいっと云って小さなドアが開きます。小型の懐中電灯の弱々しい光が辺りを頼りなく照らし出しました。
ムロのなかは、何と表現すればよいのかわからないような、妙な臭いが充満していました。どことなく甘いような、生臭いような…。正直なところ不快なくらいでした。祖母が「漬物を漬けている」と話していたのを思い出し、無理に自分を納得させて先に進んだのを覚えています。幼稚園の頃に見ていた特撮物の悪役のアジトを思い出しました。本当に悪い奴らがいたらどうしようという気持ちが半分、どうせ漬物を入れてある容器くらいしかないだろうという気持ちが半分、というところでした。どこからともなく、ぴちゃ、ぴちゃ、と湿った音が聞こえてきます。
思ったよりも長い階段を下りきったところ、四角い狭い部屋のようなものに行き当たりました。周囲には青いポリバケツのようなものがたくさんありました。一瞬ごみ箱かとも思ったのですが、たぶんこのなかに大量の漬物があるのだろうと思い直しました。恐ろしい気持ちを押し殺して、懐中電灯を無暗に振り回して周囲を確認します。
右手になにか光りました。
どうやら水道の蛇口のようです。先端には緑色のホースがついています。そして、台所のような銀色の調理台らしきものも見えてきました。しかし、問題はそれにべっとりとした赤黒いものが、それも大量に載っていたことです。叫び出しそうになるのをこらえて、それが何なのかを私は確かめました。何のことはない。ばらばらにされた魚と、魚のワタです。子ども心に「たぶん鮭だ」と思いました。生臭いのはこれのせいだったのでしょう。飯鮓(いずし)でもつくるのかな、とその当時は思いました。飯鮓というのは北海道のように寒い地方の郷土料理です。当時は飯鮓だとしか思わなかったのですが、発酵食品ですから、冬を越した温かい時期につくろうとしても発酵どころか腐敗してしまいます。つまり、あれは飯鮓の材料などではなかったはずです。あの大量の生魚が何だったのかはいまもってわかりません。
これは読ませますね
すばらしい
お兄さんが助けてくれたのかもしれませんね
プロかな?描写がうますぎて引き込まれた
他の投稿者さんとはレベルが違う
北海道、道東出身です
うちにもムロと呼ばれる地下室ありました
うちの場合は狭くて人が入れるような場所ではなかったのでもっぱら漬物やお酒を保存していただだけですが…
想像できてしまって怖かったです
久しぶりに読みごたえのある作品と出会えました。語彙の用い方や表現法に若干未熟さは感じられなくもないのですが、それらが微細なことのように感じられるほど、導入からラストまで一気に引き込まれる作品でした。
面白かったです。ただ、亡くなった子の次に生まれて来てくれた子を疎ましく思う事は考えにくいので、もう少し工夫があってもいいかな
文章、言葉遣いにとても惹き込まれました。
しっとりとしていて、想像力をかきたてられるお話でした。
人間は愛すら歪ませる生き物ですから、曾祖父が投稿者さんを疎んでいたかはさておき、どこかで道を逸れてしまったのかも知れませんね。
死んだ兄の魂を憑依させたら、兄の思い(恨み?)の強さに曽祖父が憑かれてしまった。。。とか?
最初的に自己責任系?
ムロツヨシ?
怖すぎ
クオリティーたかい