『子ども川』の水晶石
投稿者:タカラヤ (2)
「割ったんか! 石、割ったんか!」と、突然私を怒鳴りつける声がしました。
見上げてみるとそこにいたのは地元の釣り人の方で、怒っているのか真っ赤な顔でこちらに向かってきました。
「お前、自分が何したのか分かっとるのか!」と、やや訛った声でこちらを怒鳴りつけてきます。私は急に自分がやったことが恐ろしく思え、ぶるぶると震えだしてしまいました。
「割った石持ってこっち来い!」と言われれば、その通りにするしかありません。私は石を抱えたまま、おじさんの後ろをふらふらとついていきました。恐怖で頭はまともに働いていませんでした。
おじさんが私を連れてきたのは、川近くにあるお寺でした。おじさんは本堂の中に入っていきます。私が入口で待っていると、奥からおじさんと同い年くらいの住職さんが出てきました。
おじさんと住職さんが何やら小声で話し合ってから、住職さんが私の方にやってきました。
「子ども川の石を割ったんだね?」
諭すような口調です。私は震えながらもうなづきました。
「石を持って帰ったりした?」
この問いかけにも、私はうなづき返しました。住職さんの眉間に深いシワが寄ります。
その後住職さんに色々聞かれ、私はぽつぽつと身の上を話しました。
最近このあたりに引っ越してきたこと、石の採取が好きなこと、水晶が拾えるのが嬉しくて沢山持ち帰ったこと、家でそれらを割ったこと。
住職さんとおじさんの顔は厳しくなるばかりです。やがて、住職さんの方が口を開きました。
「昔、あの川は水晶の名産地でね、地元の人の憩いの場所でもあった。けれど、戦争が始まって、集会や採取が禁止されてしまったんだ。
戦争が激しくなるに連れて、この辺りでも大きな空襲があって、火に巻かれて逃げ場を失った子ども達が川に飛び込んで、溺れて大勢亡くなった。
子ども川と呼ぶようになったのはその後でね、亡くなった子ども達を弔うためにそう呼ぶようになったのだけど……」
ここで一旦、住職さんが口ごもりましたが、すぐに話を再開させました。
「それからね、採れる水晶におかしなことが起こり始めたんだ。
中に不純物が混ざるようになったんだ……焼けた子どもの骨としか言いようのないものが、石の中から見つかるようになった。
石を持ち帰った家にも、家事や病気などの不幸が起こるようになって、地元の人は子ども川での石の採取を禁じたんだ」
話が終わる頃、私は震え上がっていました。自分が今まで何をしでかしていたのか、ようやく分かったからです。
私は泣きながら、石をおざなりに扱っていたことを何回も謝りました、何回も何回も……。
それからは、あっという間でした。住職さんが私の家に来て、石を回収しました。そして、毎週日曜日に本堂で一緒にお経を上げるという約束になりました。
石が家からなくなってからも、私は毎日を恐れながら過ごしていました。なぜなら、住職さんが言ったように不幸な出来事が起こったからです。
家があわや火事になりかけたり、母親が車に轢かれ大怪我を負ったり、自分自身も公園の遊具から落ちて片腕を折ってしまいました。
そんな時でも欠かさずお経を上げ続けたおかげか、それ以上の不幸には襲われずに済み、一年が経つ頃には住職さんにも許されました。今度はほっとして泣いたことを覚えています。
子ども川は今でも地元に流れていますが、いいつけがよく守られているのか石を持ち帰るような人は誰もいません。
私も地域のパトロールボランティアに参加し、子どもがおかしなことをしていないか見回っています。
もしあの時、自分の欲望のまま石を集め続けていたらどうなっていたのか、おじさんが止めてくれなかったら、住職さんに出会わなかったら……そう考えると、今でもぞっとしてしまいます。
一歩間違えれば、私は死んでいたに違いないのですから。
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