乳がんの手術をした妻が手術をした医者に惚れて離婚を切り出された時、俺は迷わず離婚届に判を押した。
44年間生きてきて、そのうちの15年間人生を共に過ごしてきた女性を失うのはそりゃ大きな出来事だったけど、朱肉に印鑑を押し付ける俺の手には躊躇も後悔も失望もなくて、ただ無心で押していた。
子供がいなかったってこともあるんだろうなぁとか適当な理由を考えてみたけど、どうやらこの俺の判断というか対応は間違っていたらしい。
というのも、元妻が俺の友人知人、そして俺の両親と妹に「聡はおかしい」と言いふらしたみたいで、あらゆる方面からバッシングを受ける。
妹には人非人扱いされ、母からは産まなければよかったとまで言われ、友人はLINEで俺をブロックしたし、上司には精神科に行けと言われてしまう。
自分の行いの是非なんて誰にもわからなくて、いや、もしも是非なんてもんがあるならむしろそれを決めるのは自分自身でしかないはずで、だったら俺が離婚を了承したことを俺は是と考えているんだから、じゃあ俺は間違ってなんていないだろっていう考えはどうやら間違っているみたいで、妻と共通の友人である麻友子にも「普通じゃないでしょ流石に」と軽く叱られる。
「ほんとに愛情があるなら絶対止めるから。考え直せって言うから。てか、話し合うでしょまずは」
うーん。でも、相手が離婚したがってるのに、俺がそれを阻止するのってどうなんだろう。だって、もう俺に対して愛情がない人間とこれから一緒に暮らしていくってことになるんだし、それのほうがきつくないか?
「まあそれはそうだけどさ。じゃあ聡はそれでいいってこと? 後悔はないの?」
「後悔はないよ。というか、後悔もなにもないよ」
ある日突然離婚したいって言われて、しかも他に好きな人ができたって言われて、そんなの後悔しようもないだろ。
「でもさ、理由も訊かずに離婚届にサインしたんでしょ?」
「理由は聞いたよ。医者が好きになったんだって」
「それってほんとなの? そんなことってある?」
「さあ。向こうがそう言ってたからそうなんじゃないか」
正直、理由なんて何だっていいんだ。美菜が離婚したがってるっていうことが大事なのであって、そこに至る経緯とか動機なんてものは重要視しても仕方ない。離婚したがっているという結果がすべてなのだから。
「相変わらず極端っていうか、よくわからない考え方だね。でもまあ、聡らしいっちゃ聡らしいし、あんたがそう決めたんだったらいいんじゃないかな。私はそれを尊重してあげる」
ありがとうって言うのも変な気がしたから「そうか」とだけ返して、そこからはたわいもない会話をして帰る。
麻友子は頭がいいというか、計算高い性格なので、俺達夫婦は色々相談に乗ってもらうことも多かったけれど、特に美菜は麻友子にかなり依存していて、仕事の面接からプレゼン内容まで、麻友子の言う通りにしておけば間違いないという思い込みが強かった。
今回の離婚の件も、姉のように慕っている麻友子に相談したんだろうけれど、そこは麻友子としても中立の立場を守るために詳しい内容を話してはくれなかった。
とはいえ、そんな頼れる麻友子に離婚を決断したことを肯定してもらうと、俺も自分の選択が間違っていなかったんだなと少しだけ安堵することができた。
特に揉めることもなく無事に離婚は成立して俺は独り身になり、気を遣ってくれたのか、麻友子が頻繁にうちに来るようになる。
元々気のおけない仲だった俺達はどんどん距離が縮まっていく。
で、その1年後に俺は麻友子と結婚する。
「なんかほっとけなくてさ」ってことで、麻友子は俺と添い遂げることを決めたらしい。
離婚してから一度も会うことはなかったけど、一応、前妻である美菜にも電話で報告すると、「完全に騙された」とだけ言って切られた。
俺の再婚が気に入らなかったんだろうか。
まあ、いいか。
これからは第二の人生を麻友子と歩んでいく。
同じ失敗を繰り返さないように、麻友子と向き合いながら、最後まで添い遂げようと思っている。
























いるいる、こういう腹黒女。でも、主人公の男性も感情の起伏が小さ過ぎるから、「人非人」と言われても仕方がない。
麻友子怖いなぁ~