人類に普遍的に内在する「寂しい」という感情のメカニズム
投稿者:ハンマカンマ倦怠感 (4)
みなさんはグループソウルや類魂という言葉をご存知だろうか?
人間がこの世に生まれる前、霊界ではグループソウルという魂の集団に属している。
自分と魂レベルの近い魂の集団なのだが、魂のレベルを上げるためにその中から一つの魂がこの世に派遣され人生を経験し、死後このグループソウルに還り人生経験を共有して魂のレベルを高めるのだ。
この世はいわば魂の修行の場といえる。
人間の死後はこの世とは比べ物にならないほど自由だ。
時間や空間、肉体というしがらみは無くなり、会いたい時に会いたい人に会うことができ、全ての出来事や物事を常に魂同士で共有できるため「寂しい」という感情も存在しない。例えるに究極のSNSといったところだ。
この世に生まれ落ちる時、それらの記憶は消されているが、魂の根源はその記憶を覚えているため、人間は根源的に寂しさを感じるように出来ている。
ただ、仮にグループソウルにいた時の満たされた感覚を思い出してしまうと現状の孤独感に耐えきれず、発狂してしまうだろう。
その為人間は脳に楽観的なフィルターを掛けられており、あまり孤独を気に留めず生きていけるように作られている。孤独に耐えきれず自死を選んでしまうと魂の修行にならないからだ。
鬱病や不安障害を抱えている人は、そういった意味では生まれる前の感覚を思い出した抜き身の魂に近い。脳にフィルターがかかっている一般的な心が健康的な人よりも正常な感覚といえる。
どこにいても誰といても何をしていても、どうしようもない寂しさや不安感が募るのは、魂がグループソウルに帰りたがっている為に起こる現象なのだ。
では自己の魂がこれだけの寂しさを抱えながらこの世に生まれることを選んだ理由はなんなのか?
それは大きく分けて2つある。
「カルマの解消」と「愛を育むこと」である。
まずはカルマの解消であるが、グループソウル内では幾万という魂の幾万という人生の経験がある。その中にはやはり過去の過ちのある人生もある。罪を犯した魂が今世でカルマの解消をしない場合、そのカルマは次回の人生の課題となる。単純な前世や来世の話ではなく、グループソウル内の魂が何度も何度も何度も繰り返し転生し、カルマの解消を目指しているが、カルマ解消の課題をもって生まれた魂が新たなカルマを作ることもある。記憶を消されて産み落とされるためにこういったことはいくらでもあるのだ。例えば殺人のカルマを解消するためには何人もの人々を救う必要があったり、翻って誰かに殺される必要があったりすることもある。もちろんカルマ解消の方法はそれだけではないが・・・
それら全ても学びとなりグループソウルに蓄積されていく。グループソウルの魂レベルを上げて次の次元に高めていくことは途方もないのだ。これを魂の浄化と呼ぶ。
次に愛を育むことだが、人生で最も成すべきは無償の愛の気を育てることだ。そのために天上の意思は、家族を作り、子供を作り、愛し、育てるという人間の仕組みを作った。そして愛を伝播させ、隣人を助け、導き、愛されて、最後は惜しまれて逝く。これこそが人のなすべきことだ。あの世ではこれが出来ないため、この世に魂は修行にくるのだ。戦争や殺人はこれとは真逆の行為のため大きなカルマとなる。
最後にあの世の仕組みがなぜこのようになっているのかだが、これは私もわからない。
ここからは私なりの解釈となる。
あの世は魂のレベルに応じた完全なる階級社会である。死後は基本的に同レベルの魂のいる階級に留まることとなる。高い階級のグループソウルで人間のスピリチュアル界で認知されている例としては「シルバーバーチ霊団」があるが、無論もっと高いグループソウルも存在する。最終的には全ての魂の修行、浄化の完了を目的としている事は確かだが、天上の意志は見えない。神は唯一無二である。霊界の最も高い位に位置しており接触はできない。神が自身の御霊を無限に分けてグループソウルの仕組みを作ったのか、グループソウルの浄化が終われば神のもとに戻るのかもわからないが、位の高い天使(神道の神や仏教の仏にも対応)や魂はより光に近い存在。暖かい無償の愛の気の塊のように感じる。これらを推察するに天上の意志は、無償の愛の気をもっと増やすよう誘導しているのだと思料する。最後は愛の気で霊界もこの世も満たされればグループソウルの浄化も終わるのだろう。
この文章を読んだ貴方も、自身の恋人、家族、友人、大切な人に今一度無償の愛を与えてみて欲しい。そして無償の愛で返された時、寂しいという感情はもう消えているはずだ。
久しぶりの更新、嬉しいです。
人間の根源的な感情は喜怒哀楽のどれでもなく「寂」のみ、なのかもしれないですね。
ご自愛ください。