あがばがの崖の下の大きな岩
投稿者:黄泉川 零 (1)
Nさんの祖父が幼いころ住んでいた集落には、絶対に立ち入ってはいけない場所があったという。
「あばがばの崖には絶対に近づくな」と、祖父は母親からきつく言われていたそうだ。大人たちも近寄らない場所で、その崖には不思議な噂が絶えなかった。夕方になり、夕日に照らされると、岩陰の一部に人の形のようなものが浮き上がるというのだ。明らかに岩と違う形をした影が、まるで人影のように映し出されるのだ。
祖父はその噂を信じていなかった。絶対に近づいてはならない場所なら、なぜそんな噂が生まれるのか。人影など映るわけもないし、人影を見ることもできないはずだ。大人たちが隠しごとをしているのではないのか。そんな捻くれたことを考えていたという。
ある日、祖父は崖に行ってみようと思い立った。
あがばがの崖は近くはないが、遠くもなかった。
遊び慣れた森の奥だし、そこまで迷う心配もない。しかし同時に夜の森の怖さも知っていたので、明るい真昼間のうちに行くことにした。
あっさりと崖に着いた祖父は、逆に怖くなったのだという。
「こんなに簡単に行けるのに、なんで誰も来ないんだ」と。
あばがばの崖への付近は特に木々の間隔が広くなり、むしろいい遊び場になりそうなほどだった。それなのに、友人からも大人たちからも、一度たりともここへ行ったという話は聞かない。
変だ。冷静に考えれば考えるほど、背筋は冷たくなっていった。
なにか嫌な予感がしていた。しかし親の禁じたことを破ってまできた手前、ここで引き返すわけにもいかない。
落ちないように気をつけながら崖側へ恐る恐る近寄っていく。際まで来たとき、鼻につく異臭がした。まるで地獄にでも迷い込んだような気分だった。ここだけ空気が違うのだ。
そして祖父は崖の下の、大きな岩を見た。
骨があった。白っぽい岩の上に数本の動物らしきものの骨が散らばっている。周りには大小様々の白や灰色の岩。とにかく岩だらけだ。骨が乗っているのは、その中の特に大きな岩である。
しばらくそれから目を離せなかった。いったい何の骨だろうか。どうして、この岩の上だけにあるのか。野生動物が置いたにしては、骨の状態が綺麗すぎないだろうか?
しかしもしかしたら、この辺りは熊でも出るのかもしれない。そう思い、周囲を警戒しようとしたそのとき。
骨のある岩の端から、ぬぅっと黒い影が伸びてきた。ちょうど雲に隠れていた真昼の太陽が顔を出したのだ。じわりじわりと染み出すように影は人の頭のような形を作り、白い岩肌に映り込む。
それを見て祖父は、一瞬安堵したのだという。
ああ、これが噂の正体なんだ。夕方だったらもっと不気味に見えるだろうけれど、明るいところで見ればなんのことはない、ただ自分の影が写っているだけなんだ、と。
影は雲の流れとともに伸びてゆく。丸みを帯びた人間の頭部、そこから連なる首、横に広がって人間の肩……。太陽の様子を見ようと視線を外して、もう一度岩に目を戻したとき、祖父は凍りつくような恐怖を感じた。
そこには、三つの人影の上半身が映っていた。
直感的に見てはいけないものだと感じ、口から漏れそうになる声を抑え、飛び跳ねるようにして来た道へ走った。走って、転びそうになりながら家まで帰った。
帰宅した祖父を見た母親は初め、誰かにいじめられたのかと心配したようだった。そうでもなさそうだとわかると、次第に不安な表情になって「あばがばの崖行ったんか」と押し殺した声で言った。祖父は正直に答えた。すると母は蒼白な表情で激しく叱りつけた。
「あんた、『あがばが』にされるところやったんよ!」
祖父は母親の言葉を聞いてさらに怖くなり、それきり二度と崖に近づくことはなかったという。
もっとのびろ
あぁ、あがばかの「あが」って「吾が」のことか
つまり、自分の墓ってこと??