ANちゃんが怒った！

これは私の母親の体験談です。

母が初めて就職した会社での話なので50年くらい前の出来事です。

当時、母の同僚にANちゃんと言う女性がいました。

ANちゃんは女優のオードリー・ヘップバーン似で男性社員のモテモテ、

にも関わらず性格がとても良く、怒った所を見た事が無い、という女性でした。

そんなANちゃんと母が二人で出張し、出先のホテルでの事です。

その部屋に入った途端、普段朗らかなANちゃんが急に塞ぎ込んでしまったそうです。

荷物を解いて夕食を食べに出かけて戻った後も、ANちゃんは黙ったまま、時折周囲を不安そうに見まわしたりしています。

「どうかしたの？」と母が聞いても、「ううん、なんでもない」と、その時だけは笑顔が戻るのですが、表情には陰りがあります。

母は怪訝に思いながらも、そのまま二人で眠る事にしたそうです。

何かの気配を感じたのか、目を覚ました母、周囲を見回すと、作業服姿の男が母に背を向けて立っていました。

最初は工事か何かの人が入って来たかと思ったそうですが、その男は微動だにせず、呼吸音すら出さずにANちゃんをじっと見下ろしています。男の表情を窺い知る事は出来ません。

そんな状態でもANちゃんはスヤスヤと寝息を立て、母に背を向けた状態で眠っていたそうです。

いつの間にか眠りに落ちていた母が目覚めて最初に見たのは、備え付けの鏡台で髪を梳かしているANちゃんだったそうです。

「ANちゃん、昨日の夜なんだけど……」と母が言い終える前に、

「やめてよ！」とANちゃんが声を荒げて母を制しました。

母は「ANちゃんも本当は気付いていたんだな」と思ったそうです。

ANちゃんが怒ったのを見たのはこの時が最初で最後で、鏡に映った彼女の表情は今も忘れられないそうです。

その後ANちゃんが寿退社し、母とは疎遠になったのですが、最後まであの夜に何があったのかは聞けなかったそうです。