山は色んな意味で怖い
投稿者:メイプル (6)
ある夏、山へハイキングに誘われました。
空気が良い自然の中で、ハイキングに行くのもいいなと、深く考えずに行くことにしたのですが、当日になり標高2000mを越える登山であると知りました。
ハイキングと思っていたので、本格的な登山であることに心が折れつつ、車で山に向かっていると目の前で大事故が。運転手は血を流し、救急車を呼ぶなどして時間を取られ、不吉な始まりに気持ちも落ちながら、予定より遅い登山の出発となりました。
日頃から運動不足で体力がない私は、次々に登山客に抜かれ、息も絶え絶え、「なんでこんな登山なんか・・・ハイキングと聞いてたのに」と、怒りや憎しみの感情を抱きながら登っていました。
山への敬意など感じることなく、早くこんなところ帰りたいという思いに駆られていたのです。
登頂し、時間がないため余韻に浸ることもなく、下山をすぐに開始。
ところが、「まずい」と登山経験者の知人が顔をこわばらせ、「雷が来る」と言うのです。
まだ、晴れ渡る空に不思議に思うも束の間、天候が一気に変化し、雷雲が向かってきたのです。
登ろうとしていた他の客にも、もう下りた方が良いと知人は促し、歩くのが遅い私のせいで、気づけば登山客は私たちしかいませんでした。
私は山での雷は落雷の恐れがあるため、死に繋がることを知らなかったのです。無言で山を下り続け、どれだけ歩いたことでしょう。
私は山に祈りました。もう少し待ってくださいと敬意を払わなかったことを悔い、ひたすらに全力で下りたのです。
3時間で下山できるはずでしたが、なぜか道を間違えたわけではないのに、5時間近く歩き続けました。
なんとか落雷を逃れ、下山できたのは日が暮れた頃。バスもなくなり、体力は限界をとうに越え今にも倒れそうでした。
しかし、フラフラで歩くと不思議なほど、タイミングが良く一台のタクシーが。「助かった・・・」そうホッとしながらタクシーに乗ると、土砂降りの雨と雷が鳴り響きました。
そして、山の頂上で聞いた雷鳥の声を思い出しました。
雷鳥は、”神の使い”とされているそうです。
助けられたのか、怒られたのかわかりませんが、それからは、山に入る時は敬意を払うようにしています。
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