私はこれまで辛い人生を送ってきました。
うちは母子家庭で、水産加工の工場で働く母が女手一つで育ててくれ、三つ下には弟がいたこともあって、私が我慢することもよくありました。
中学に上がったころには、とにかくいい高校に入るために勉強に明け暮れる日々を送っていたのですが、その頑張りが実を結び、県内でも一番の進学校に入学出来たんです。
しかし、その高校までは電車で一時間近くかかる為、毎月、高額の定期代がかかっていました。
また、中学生になった弟は強豪の陸上部に入り、部活費用も普通以上にかかります。
そんな中、母は工場の仕事の後に夜の仕事も始めました。
毎日つかれた顔をしていたのをよく覚えています。
ある時わたしは、母に進路の相談をしました。
私が東京の大学に行けば、卒業後にいい就職先も約束されると思っていたのでそう伝えたのですが、
あっさり断られました。
「高校を卒業したら働いてほしい。」
母に頭を下げられました。
この頃、弟は陸上で好成績を上げていて、このまま行けば特待生として高校に入れるかもしれないと言われていたそうです。
特待生になれば授業料も免除される。
だから、あなたにも弟のサポートをしてほしいと。
私はこれまでの努力が否定された気がして、絶望感からつい家を飛び出してしまいました。
泣きながら道路を歩いていると、弟が後ろから追いかけてきたんです。
弟に慰められながら、しばらく二人で歩いていたのですが、涙で足元が見えていなかった私は躓いて転んでしまいました。
直後、すぐ近くでけたたましいブレーキ音と衝撃が響きました。
私は転んだ拍子に弟を突き飛ばしてしまい、道路に押し出された弟は車に撥ねられてしまったんです。
幸い、命に別条はなかったのですが、右足の骨折、靭帯損傷。後遺症も残るとのことで、陸上は諦めざるを得ませんでした。
それから数日後。
授業中の教室に教頭先生がやって来て、私に電話だと言います。
職員室の電話に出ると、相手は母。
震える声で、弟が亡くなったと伝えられました。
病室の窓から飛び降りたそうです。
葬儀中の母はずっと泣いていました。
「あんたも無理しないで泣いていいんだからね。」
私は母のその言葉に、やっと私を見てくれたと不謹慎ながら嬉しく感じたんです。
それから、私と母だけの生活になりました。
母は夜の仕事を辞め、それまでに残していたお金で私を東京の大学に送り出してくれました。
























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