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呪い・祟り

さかなさんによる呪い・祟りにまつわる怖い話の投稿です

呪いのかけ方を教えてやろうか
長編 2025/12/12 21:56 545view

予想する反論として、前半の霊やら儀式やらを使う呪いについて。
おれ自身はそういう世界はあると思ってるし、決して否定しない。あくまで「怖いしめんどくさい、つまり自分の日常生活に合わないからやらない」のだろうという見解。
「呪いたい相手がいて、その相手に被害を与えるためには自分の身も犠牲にしてかまわない。だから、自分の生活を捨てて儀式をしたりどんな労力でも払う。
そのくらいの恨みや怒りがあるからこそ呪うんだ」って人は。
だったら呪いなんてオカルトじゃなくて、普通に嫌がらせや暴力を使えばいいじゃん。昼夜を問わず無言電話したり怪文書を毎日送りつけたり、実際に毎日顔を合わせる相手になら
相手の持ち物を壊したり捨てたり、なんなら背後から階段から突き落としたりでいい。だって、それらの手段は実行すれば確実に相手に精神的か肉体的か、何らかの被害を与えることができるんだから。
真正面から殴り合わなくても、その場で抵抗や反撃をされないやりようはいくらでもある。
で、相手に被害を与えることができたけれども、やったことがバレたら自分は当然処罰される。社会生活が送れなくなるかもしれない。それはつまり「穴ふたつ」なんだから。
だからこれが呪いを躊躇する理由のふたつめ。
無辜の相手にそれをやったなら「おまえが呪われろ」ってくらいクズい行為だけどね。
このへんはまた少し話が変わっちゃうかもしれないが、『殴ったら法律で罰せられるから殴らない(だから法律で裁けないオカルトを使う)』と
『法律では本当に殴ってくる拳は止められない(だから物理的に確実に被害を与える方法を使う)』に近いとでも言えばいいのかな。考え方的にね。

相手に実際に被害を与えるという点に関しては、オカルトなんかよりも物理の方が遥かに即効性があり強い。
だから自分の生活を捨てたり法の刑罰を忌避しない「穴ふたつ」上等の人なら物理的攻撃が最良にして最強だと思う。そんなの怖いどころじゃないからおれにはやらないでね。お願い。

呪いってのは、霊とか儀式とかやる系のは冒頭に書いた通りに「怖い、めんどくさい」と「穴ふたつ」がイメージの根本だと思うのね。
その根本ってのは、人間が「怖い」「畏れる」という心もあるし、「良識に反する」「卑怯だ」という人間としての良心に反するものであり、同時に「仕返ししたい」「自分に不利益を被りたくない」
という感情もあり、それに付随して「めんどくさい」「嫌だなあ」という、言うなれば「できればやりたいけど、やらない理由づけ」的な心理も働くのかもしれない。
それはもう普通に日常生活でもよくある「こいつむかつくな。ぶん殴ってやろうか」とよっぽど思っても我慢するってのに似てる。
その心理や思考は、冒頭で書いた「呪いを使うことを躊躇する」理由そのもので、霊や儀式が怖いとかめんどくさいとか、そんなことではなくて
「社会生活をする人間としてそんなことをしてはいけない」という良識と「やったら自分に不利益がある」という打算によるもの。
それは決して間違いじゃないどころか、正しい思考だと思う。その思考を持った上で、現代社会ではもし呪った相手が死亡したとしても呪いに対する刑法もなく「呪った」という立証もできず、
法的には決して裁かれることのない「呪い」というものを安全圏から一方的に行使して抵抗力のない相手を蹂躙して踏みにじるという卑怯極まる行為を、自分の中の良識が「善し」としないがゆえに
呪いを仕掛けることを躊躇するのじゃないかと思うの。だから。呪いを仕掛けることに躊躇する。それは正しく優しい心を持ってる証拠なんだろう。
呪いのかけ方を教えてやるなんて書いておいてこう言うのもなんだが、呪いってのは言い訳もできない、卑怯で姑息な行為だ。弱いものいじめや嫌がらせや強盗や強姦や空き巣とまったく同じ、

絶対に正当化できない卑怯極まりない、人間として最低最悪の中でもそれら犯罪行為とまったく同じか、それ以下の行為だ。
相手を呪って、その相手が実際に被害を受けたとして。呪いを裁く法律がないから。呪った相手が「こいつに呪いをかけられたからこんな目にあったんだ」と言っても、それを立証できないから。
呪うという「行為」は確認されたとしても、呪った相手の被害と呪いとの因果関係を立証できないから。・・・呪い行為が確認されたら、もしかしたらストーカー規制法は適用されるかもしれんけど。
まあそういう、卑怯で姑息なことをしたくない、恥ずかしいまねをしたくないという人間として正常な自尊心が、安全圏から一方的に人を傷つけ蹂躙するという「ひどいことをしたくない」
というか、「そこまでしなくてもいいんじゃないか」という良心も手伝って呪いを実際に使うことを躊躇させるのだろうな。
この場合の穴ふたつは、呪いを仕掛けようと思うほどのことをしてきた相手に対して、自分が呪いを仕掛けようと思ってしまった、または仕掛けたという自尊心と良心の呵責が「穴ふたつ」
の二つ目の穴(自分の落ちる穴)なんだろう。
だから。冒頭に書いたように、「めんどくさい」が理由ではなくって呪いを仕掛けることを躊躇することは、正常な心を持っている人間にとって決して間違いじゃないんだよ。
それでも呪うなら。呪う相手がいるのなら。
『呪いのかけ方を教えてやろうか』なんて書いておいてなんだけどな、上記の一部の良識と良心を平気で捨てて、呪える自分になっていたら躊躇なくいくらでも呪えるよ。
その上で普通に社会生活も送れるし、呪う相手ではない人とは何の負い目も後ろめたさもなく、いつもと同じように接することができる。
敵である相手を呪いながら、味方であったり敵ではない人である家族や友人や恋人や他人とも仲良く優しく接することができる。好きな人と接する自分自身が変わるなんてことはない。
ごくごく一部の良識と良心さえ捨てればね。

4/5
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