・大前提として、「これは人間があたりまえに持ってる能力だ」と認めること。体が不自由な人はともかく、健常者はみんな声を出す、音が聞こえる、体を動かす、考える等々、
随意不随意を問わず、また得手不得手や能力の高い低いはあれど、これらはあたりまえに持っている能力だよな。それと同じで、この文章で言う「呪い」をかける能力は
人間があたりまえに持っているものだと認める。これは上記の『能力の使い方を知らないから「できない」』から、『知ったから「できる」』という認識をする必要があるから。
箇条書きの間に余談を挟んで申し訳ないが、別に上司だとか権力者とか恩人ってわけじゃない、損得勘定もない人で「あの人に言われたらなんでか知らないけど嫌だっていう気にならないなあ」
「あの人の言うことって、なんか納得しちゃうんだよなあ」「あの人に言われたらめんどくさい事もつい嫌だと思わずやっちゃうんだよなあ」って人いない?
そういう人って、自分で自覚してなくてもこの文章で指す「呪い」と同じ能力を使ってる可能性が高い。大前提で「認める」と書いた内容と矛盾するようだけど、
もともと人間が持ってるけど知られてない能力を本人は自覚なしの無意識で使ってる人は存在する。
・目的を設定して、その内容を把握する。んー。言うなれば「今日はカップラーメンが食べたいなあ」ってカップ麺買ってきて、それがどこのメーカーで何味で、何という商品名で、
麺は何グラムでスープを含めた総重量は何グラムで、成分は何がどれだけ入ってて・・・から、
「そもそも俺はなんで今日カップラーメンを食べたいと思ったんだ?なんでこの味のラーメンにしたんだ?そんで、なんでこのメーカーのこの商品にしたんだ?」
ってとこまで。
・イメージが大事。マンガ的なイメージでいいから。そのイメージは、呪った相手が苦しんでる姿を想像するってことじゃなくて、呪いをかけるためのデバイスと、対象の体につながっている
デバイスの両方を自分の手に実際に「持っている」というイメージ。デバイスの形は自分がイメージしやすいものならなんでもいい。そのデバイスを介して対象となる相手に呪いを「入れる」。
呪いの核となるものは言葉で顕す。大きな声ではっきりとじゃなくて、ヒソヒソ声でいい。
・感情移入しちゃだめ。どれだけムカついてても、どれだけ憎くても、どれだけ許せなくても感情をこめちゃだめ。
・欲張るな
・眠くて眠くて仕方ない時、退屈で退屈で手持無沙汰でまったく何もすることがない時、疲れ果ててなにもする気にならない時にやれ。そういう精神状態というか意識レベルというか、
そういう時にしか呪いはできない。「寝ちゃだめだ!」とか「ようし、呪うぞ!」とか意識を頑張らせちゃいけない。
この文章で指す「呪いのかけ方」は以上の通り、これだけだ。物も儀式もいらない、対価もお礼参りもいらない。自分の体ひとつのやりっぱなし、なんなら満足するまでやり続けでいい。
でも、あとはまあ、がっかりさせるかもしれんが、この文章での呪いには洒落怖や漫画や映画みたいに、心臓麻痺や交通事故で一発だとか、そういう劇的な効果はない。
そういう仕掛け方をしたとして、もし実際に一発ったのならそれはマジでただの偶然だ。そこは断言しておく。
最初の方に書いたが、「呪う対象に不利益や辛さや苦痛を与える」のがこの文章で指す「呪い」。不利益や辛さや苦痛を与えるはストレスを与えると言い換えてもいいかな。
意図的な呪いによって対象にストレスを与え続けることによって、対象を辛く苦しい状況に追い込む。そのストレスとは体の不調であったり痛みであったり、人間関係の悪化であったり
仕事がうまくいかないとかであったり、その対象が「こうあってほしい、うまくいってほしい」または「こうなるのは嫌だ、そういうのは嫌だ」と思うことをちょっとづつちょっとづつ
「欲しい」を阻害したり「嫌だ」を入れたりすることで大きなストレスとし、結果的に辛い目にあわせるという類のものだ。
その「辛い目」が、生活の破綻やストレスによる病気その他理由によるタヒ亡につながるかどうかはわからないけど。それもひとつの結果だしな。
場合によっては呪った本人が意図しないかたちで対象にストレスや不利益がかかってて、やはり結果的に呪いの目的を達してたってこともある。
だからいきなり「キクーーぅ!」って効果は見えないし、根気もいる。例えすっげえ効いてたとしても、呪いの効果が顕現するまでにへたこきゃ年単位の時間差があったりするし。
呪いのかけ方についてはこんくらいか。この下にグダグダ書くけどさ、極論すれば呪いなんてわかんなくていいんだし、わかっちゃったとしても悪用しないでよ?
ここからはおれの一人語りな。めんどくさかったら読まなくていいよ。


























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