老婆は続けた。
「けどのう、死んでからしばらくは……夜な夜な、キリ……キリ……いうて、機の音だけはしておったんじゃ。今は、もうせんけどの」
法師はその夜、志乃の家の跡を訪れた。月明かりの下、崩れた家の中に入ると、埃まみれの機織りがあった。
そして、その横に、何か布のようなものがぶら下がっていた。
それは、まるで耳のように、しなやかに垂れていた。
耳ではない。が、どう見ても、耳の形をしていた。薄く、柔らかく、風に揺れるたびに、かすかに音をたてた。
「すう……」
まるで、人のため息のようだった。
法師はその布を持ち帰り、手元に置いた。だが、それからというもの、夜になると不思議な音が聞こえるようになった。
最初は、遠くの人の声のようだった。やがて、それははっきりと、女の声になった。
「……聞こえますか」
「……わたしの耳」
「……あなたの声を、織らせて」
それは、法師がかつて幼い頃、病で死んだ母の声に似ていた。
その夜から、法師は語らなくなった。
弟子たちが話しかけても、うなずくばかりで、口を開こうとしなかった。
ある日、法師は言った。
「声は、消えるものです。……声は、布にできる。忘れた声は、もう一度、聴かれねばならぬ」
それが最後の言葉だった。
翌朝、彼の部屋には誰もいなかった。
ただ、机の上に、布が一筋、置かれていた。
その布は、耳のように垂れ下がり、ふと風が吹くと、かすかに――
「すう……」
と、誰かの名を呼ぶように揺れた
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