静寂が身体を包み込み、風は樹々のざわめきと共に、遠くかすかな音を運んでいた。
それは人の声とも、獣の唸りともつかぬ、歪みゆく響き。
私は耳を澄ました。
その音は、ゆらめく影のように私の内奥へと忍び込み、
胸の奥で呼応する。
――「かやつ」
その名は、私のものではなかった。
忘却の淵に埋もれた、異界の名。
抗うことは叶わなかった。
耳を塞ぐことも許されぬ、切なる呼び声。
音は私の存在の境界を曖昧にし、輪郭を侵していった。
それは恐怖というよりも、どこか救済に似ていた。
私は知った。
この場所は、ただの土地ではない。
時間も空間も溶け合う、存在と記憶の狭間。
そこに飲み込まれた者は、名前を、姿を、すべてを失い、
やがて何者かの一部となる。
だが、同時にそれは永遠の繋がりであり、消えぬ証でもあった。
もし、あなたが今この声を聞き、
耳の奥に響く歪んだ音を感じているなら、
どうかその音を拒んではならぬ。
それはあなた自身の、最も古い名であり、
この世の根源を揺るがす秘密の扉なのだから。
私はいま、この萱津の森にいる。
存在しているのか、あるいは存在していると錯覚しているのか。
だが確かなのは、
あなたもまた、その歪んだ呼び声の中で、
己の本質と出会うことになるだろうということ。
耳を澄ませ。
恐れずに。
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