篝火は相変わらず恐ろしいほどに燃え続け、その明るさと対称的に両親の顔は暗く、私を見てくれているのかどうか分かりませんでした。
最初に見えたのは、テレビなどでもよく取り上げられている仏像の数々でした。金色に輝き、夜だということを忘れさせるほどの迫力がありました。無宗教な私ですが、この時ばかりは仏様が見守ってくれているから大丈夫!と都合の良いことを考えながら歩みを進めていました。
次に見えたのは、お坊さん達の休憩所?みたいなところで、4人のお坊さんが黙々とご飯を食べていました。お坊さんってご飯食べるんだと純粋に思いました。しかも、ここを子供が通ることを分かっていて食べているのだから、これも何らかの意味があるんだろうなと思いながらその横を通り過ぎて行きました。
歩いている最中も、まださっきのお坊さんの食事の光景が頭から離れず、もはや怖いなという感情はなく、次は何が見られるのかという好奇心が私の心の中を支配していました。
次の場所では、豪華な台座の上に祀られたヘビのような置物がありました。
子供の背の高さでも手の届く範囲で、囲いなどもなかったため私はベタベタとそのヘビを触り尽くしました。感触は木っぽいけど、それにしては木目がなく、あまりにも滑らかな感じで本物のヘビをコーティングしたのではと感じるほどでした。
それにしても、あんなに多くの仏像を飾っているのに、その裏手の方にある人目に付きにくい場所になぜこのヘビは飾られているんだろう。
というか、以前回った時はヘビの置物なんてあったかな?全く記憶になく、少し怖くなった私は足早にその場を立ち去り、早く外に出たいと思いました。
次に見えたのは食事所で、普段は一般の人がお寺から提供されたお餅などを食べたり、談笑したりする場所ですが誰一人いません。
明かりは付いているのに人がいる雰囲気がなく、整然としています。
おかしい、この場所は本堂の入り口の近くで、いわばこの参拝のゴール地点から程近いはずだ、他の子供達は?帰りを待つ両親達は?
混乱しながらも、あと少しで賽銭箱のあるところにつけるはず、そこに行けば皆いるはずだと僅かな希望を持ち歩き続けることにした。
しかし、着いたのは賽銭箱ではなく仏像の前だった。本堂に入って最初に見たあの仏像達に間違いない。道は一本道、間違えるはずがない。
明らかに明かりが弱くなっている、仏像の輝きも妖しい雰囲気に拍車をかけている。
引き返すべきか?振り返ると、もはや明かりは完全に消え暗闇が私の考えを否定していた。
少しでも明かりのある方へ行かなくてはいけない、そんな気がして私は歩くことにした。
仏像の次はお坊さん達がご飯を食べていたところだ、よく考えればお坊さんに助けてもらえばよかったんだ、お願いだからまだご飯を食べていて!と心の底から懇願し歩いていくと、お坊さん達がいた。
まだご飯を食べている、けど何か違う。
薄暗いお化け屋敷のような雰囲気の中、お坊さん達は紫色のご飯を食べていた。
ゆかりをかけたご飯なんかじゃなく、米粒一つ一つが真紫色をしている。
人間が食べていいような色じゃない。

























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