崖下の岩に直撃した妻と息子は、即死だった。
落下の衝撃による損傷と長時間海水に晒された遺体は、無残な姿だったそうだ。
一週間ほど意識を失っていた彼が目覚めた時。
すでに家族の遺体は、荼毘に付され、灰と遺骨となっていた。
葬儀の時間…。喪に服す時間とは、愛しい者との最後の別れの時間であり、哀しみと決別する時間でもある。
ところが、彼は、その時間の一切を、奪われた。
結果、彼の中に残ったのもは、
哀しみに囚われ続ける自身の感情と、決別できない家族への愛情だけだった。
…
上司は、語ります。
きっと、彼の中では、家族はまだ生きているんだ、と。
彼の哀しみの時間は、まだ終わっていないのだ、と。
彼は、存在しない家族の幻影と、今も一緒に暮らしているんだよ、と。
それはきっと、彼が哀しみの感情から囚われなくなるその時まで続いていくんだ、と。
上司の話を聞いて、後輩の彼は暫しの沈黙の後、口を開きました。
「で、ですが、だからと言って、先輩の、あの、おかしな行動を放っておくんですか?」
後輩の彼は、そう上司に食ってかかります。
「…この件にはね、一つだけ不審な点があるんだ。」
後輩の彼の言葉を受けて、上司は話の続きを語り出しました。
…………
転落事故のあった岬はね、
普通なら転落事故なんて起きる場所じゃないんだよ。
故意にフェンスを乗り越えるような危険な行動をしなければ、ね。
そして、事故があった日、彼が妻の手を引いて崖に向かう姿が目撃されている。
もしかしたらあの日、彼は、日々のストレスに耐え切れず、家族と共に無理心中を決行しようとしたのかもしれない。
もしそうだとしたら、今の彼が抱える哀しみは、想像がつかないほど過酷なものだろう…。
だから誰も、その話には、触れないんだよ…。
…
…
…


























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。