ハイキング
投稿者:タンドリーチキン (2)
そこには、この世のものとは思えない何かがいた。Dではない。白目がなく、眼球全体が真っ黒で、口は信じられないくらい大きく裂けている。大きく裂けた口からは何か出て来ていた。
おぞましい、何か。
その何かを直視することが出来ず、Aは叫びながら夢中で逃げ出した。
もうBのことも、Cのことも気にかけることは出来ない。
後ろからアイツが追ってくるんじゃないかと考えるだけで、足はもつれ、何度も転んだ。
いつの間にかCと同じように目から涙を流し、口を大きく開け、叫んでいた。
Cと違うのは、とにかく走ったことだ。
どこをどう走ったか、木の根につまづいて、思いっきり顔をぶつけたことで、立ち止まる。
近くに小さな川が流れていた。湧水から流れ出たような小川で、その水の流れとチョロチョロという平和な音が昂ぶっていた神経を抑えていく。
冷静になってくると、BやC、そしてDが心配になってきた。
でも、あのおぞましい物がいる場所に戻るのは死んでも嫌だ。まずは、山を降りて、警察とかに友達が遭難したと相談するのが良いのではないかと頭の中で考え始めた。
訳もわからず走ってきたため、元の山道からはかなり離れているかもしれない。どうしたものかと思案していると、走って来た方向と反対側からサクッ、サクッと落ち葉を踏みしめる足音が聞こえてきた。Dのこともあるので身構えていると、2人組の老夫婦のようなハイキング姿の登山客が現れた。
『あら、こんなところに若い人が珍しい。あらあら、怪我してるじゃない。どうしたの?』老婦人が声をかけてくれる。
化け物を見た、と言っても信じてくれないと考え、『道に迷ったんです』と小さな声で答えた。
老夫婦は怪しむこともなく、『それなら、私たちと一緒に山道まで出ましょう』と優しく申し出てくれた。
老夫婦が前を歩き、その後ろをついていく。霧が立ち込める道なき道をどんどん進んでいく。老夫婦は歩き慣れているのか、特に地図を見ることもなく一定のペースで進んでいく。どのくらい歩いただろうか、霧が晴れることもなく、少し薄暗くなってきた。夜が近づいていることも考えると不安になってきた。
『あのー、あとどのくらいで山道に出ますかね?』Aが前の老夫婦に尋ねると、『あと少しよ』と少し低い声で返ってくる。
そういえば、おじいさんの方は一回も声を聞いていない。喉も乾いてきたので、一回休憩したかった。
『すいません。少し休憩させていただくことは可能でしょうか?あと、携帯がもしつながるようでしたら友達や家族に連絡させていただくことは可能でしょうか?』
前を歩く老夫婦に声がけするが、返答がない。黙々と歩き続けている。声が届かなかったのかと考え、再度『あの、休憩を、』と少し大きな声で話しかけると老夫婦が急に立ち止まった。
立ち止まったにも関わらずAの方に振り返ることもなく、前を見て突っ立っている。
『えっ?どうしました?』Aが困惑した声を出すと、老夫婦はゆっくりと顔を向けてきた。
その様子がどうもおかしく、良く見ると体の向きは変わらず、首だけがゆっくりと後ろに向こうとしている。人間ではあり得ない角度で首が回ってきた瞬間、Aは叫んでいた。
『あーーーーー!!』老夫婦の顔はいつの間にか、Dのように眼球が全て黒く染まり、口が大きく裂けていた。
Aはもう無我夢中で走り出し、どこをどう彷徨ったか夜中の真っ暗な中、街道に出ることができた。それなりに車が走っている街道だったため、手を挙げて車に助けを求める。
軽傷ではあったが、鼻の骨にヒビが入っていたり、至るところに擦り傷があり衰弱もしていたため、1週間ほど入院となる。
その間に警察から事情を聞かれたり、山岳警備隊が出動してB、C、Dを探したり、大規模な捜索が行われた。Aは老夫婦については警察にも家族にも話さず、BCDとは途中ではぐれて自分だけ運良く帰宅できた、と語った。
退院間近となったある日、BCDの捜索が難航し、生存が危ぶまれてきた頃、Aは本当のことを俺に話してくれた。俺は、登山前日に胃腸炎になり、同行予定だったが急遽欠席となったEだ。
話をするAは病院のベッドに座り、下を向いてボソボソと話す。Dや老夫婦の顔については思い出したくないのか、時々詰まりながら、話してくれた。
話終わるとAは無言になり、下を向いたまま座っている。
すごくこわい~