祖父に助けられた話
投稿者:海堂 いなほ (14)
私は、大学に入るまで、両親と祖父、祖母と暮らしており、両親は、共働きで帰宅が遅く、夕食は、いつも祖父、祖母と一緒に食べていた。いわゆるおじいちゃん、おばあちゃん子ってやつだ。
私は、高校卒業と同時に東京の大学に進学し、そのまま、就職し、実家を出て、以降、実家によりつくことなく、結婚して他県に住んでいます。実家を出て、10年たったころには、祖父も祖母もなくなり、葬式には出たが、亡くなったという実感は、今でも薄い。
さて、その日は、仕事でミスをしたわけでもないのに地方都市に左遷された「もやもや」を抱えたまま、路線バスの旅行に行くことにした。
仕事は、休んだ。どのみち、行ったところで、やることはない。ならば、休んでやろうと思った。俺がいても、いなくても影響はないような配属先だ。
しかし、これが失敗だった。その日、乗車したバスは、コミュニティーバスで周回すると思いきや、〇〇入口が終点のバスだった。私は、通り過ぎる昭和チックな変哲もない街並みを眺めながら、終点を目指した。
何か目的があったわけではなかった。とにかく、職場から離れたかった。
今思えば、そんなことを思っていたのかもしれない。
気が付けば、窓に頭をもたげ、眠っていたらしく。車掌さんに肩を揺らされ起こされた。
「お客さん、終点です」
ドラマの撮影かと思うほど、典型的な動きをしていた気がする。私は、体を震わせながら、立ち上がり、慌てて、バスを降りた。そこは、ちょっとした旋回場で、見上げると一面緑で覆われた山、見下ろすとやっぱり緑で覆われた山しかない場所だった。申し訳け程度に道があり、山の中を縫うように続いている。
私は思わず、「えらいところで降ろされてしまった」と口走っていた。誰もいない停留所で、こんなことを言ってももうどうにもならないことはわかっていたが、自嘲気味に笑うと、誰もいないことを確認して笑みを消した。その時、引き返すバスに乗車すればよかったのだが、その時は、「少し歩けば、次の駅まで行けるだろう」と思い、歩き始めていた。スマホで確認すると、この一本道を歩けば、コンビニがあるし、駅もありそうだった。
しばらく歩みを進めたが、人はもちろん車ともすれ違わない。さっき乗っていたバスは本当に終点まで行ってたんだなと当たり前のことを思いながら、さびたガードレールしかない道をセミの合唱になかを歩き続けた。
やっと、山を抜けると田園地帯に入った。まだ、稲刈りの時期には早いらしく、稲はまぶしいほど青々としている。目に優しい青が染みるように飛び込んでくる。
「明日は、仕事に行こう」とつぶやくと、急に無駄に歩いていることがあほらしくなり、タクシーでも拾えないかと周りを見るが、やはり、車どころか、民家はあるが、人の気配はない。田園の中にぽつりぽつりと墓が見える。私は、墓地は集められているものという印象があったので、不思議に思いながら、そういう土地柄なのかと妙に納得しながら、再び歩みを始めた。スマホで現在位置を確認しても、あと30分も歩けば、駅があると指している。
しばらく進むと「せせらぎの道」と看板が出ていたので、思わずそっちに足を向けた。その道は、左右を田園に挟まれたあぜ道になっていた。「せせらぎ」と書いてあったから、川でもあるのかと思っていたが、残念ながら用水路のことを指していたらしい。
相変わらずあぜ道を歩いても人とはすれ違わない。平日だからか?と思いながら、郷社を見つけては、お参りをし、駅を目指した。
10分ぐらい歩いたころ、さっきまで日差しに困っていたのに、急に日差しがなくなったと思うと、霧が立ち込めてきた。念のため、スマホを確認するとやはり、この先に駅があることは間違いないらしい。次の瞬間だった。自分でも信じられなかったが、さっきまで田園風景の中を歩いていたはずなのに、気が付くとけもの道を歩いていた。
「熱中症か?」と思いながら、さっきのスマホの画面を思い出し、さらに前に進んだ。前に進んでも、後ろに進んでも獣道しかなく、道に左右はツタで覆われた緑と杉が林立していた。それに、おかしなことに朽ちかけた小さな赤い鳥居が無造作に置いてある。妙なデジャブ感を持っていると祐徳稲荷のやまの中で見た景色と似ていた。
「まいったな、ほんとにまっすぐで駅に着くのか?」私はそう思った。また、スマホを確認するとすでに圏外になっていた。
それでも、戻ってもなと思いながら、また前に進んだ。ありがたいことにこのけもの道は比較的歩きやすい。抜けた先に無人駅があったりするんだろうなとか、楽観視していたが、ふとおかしなことに気が付いた。セミが鳴いていない。それに遠くで、鈴と太鼓の音が聞こえる。
私は、20年くらい前に掲示板を騒がせた「きさらぎ駅」を思い出した。
「きさらぎ駅」と同じだなと思いながら、「でも、あれば、電車から降りて、線路を歩いていたら、そこが異世界だった」みたいな話だった気がする。私は相変わらず能天気なことを考えながら歩いていた。
相変わらず、鳥居が点々と放置してあるのを横目に見ながら、鈴の音の方向に歩いていた。
別に鈴の音の方向に行きたくて進んでいたわけではなく、もともと駅が音が聞こえる方向にあるはずだと思いながら、その方向に進んでいた。9月だし、祭りの練習でもしているに違いないと思い、一抹の不安を覚えていた。そして、初めて生物と思しきものと出会うこととなった。生物と思しきものとは、片足のない国民服を着たおじさんではなく、2mほどある坊主姿の何かであった。そもそも、2mの人に出会ったことがない私は、思わず歩みを止めた。私の行き先にその坊主姿の何かは立っていたのだ。
かといって戻るわけにもいかず、私は、その白坊主の横を抜けて、先を急ごうとなるべく見ないように通り過ぎた。ちょうど城坊主の真横を抜けるときに「ほーい、ほーい」と耳元で声がした。思わずのけぞり、その白坊主のほうを見たが、その顔には、目も鼻も口もなかった気がする。そこの記憶はあいまいだ。私はあわてて、走り出すと鈴の音と太鼓の音が大きくなっていることに気が付き、少し安堵のため息をついた。「人がいる」と思っただけで、安心できると思ったのだ。さっきの白坊主が振り返った気がした。それにそれだけではない。山の中に何かがいる気配がする。気配というよりも、何かが意図的に音を出している。私はそれでも走り続けた。息が苦しい。怖いと思いながら夢中だった。それでも、どこにもつかない。霧の中をやみくもにけもの道を走り続け、音のほうに近づいていく。すると、音の正体がうっすらと見えてきた。それは、数人の人と神輿に様なものだった。
私は声をかけようとした瞬間だった。「ウォー」という警蹕(けいひつ)の声が山をこだました。
霧は晴れ、けもの道はアスファルトに代わり、一匹の狐と死んだはずの祖父が立っていた。
「○○(私の名前)、こんなところで何をしている?早く帰りなさい」と祖父が昔と変わらない優しい声で私に言った。
私は、次の駅の目の前に立っていた。さっきまでの景色は白昼夢のように消え去り、不気味そうに私を眺めるおばちゃんがいるだけだった。そのあとは何も変わらない日常を送っていますが、たまには墓参りでもしようかと思った話でした。
落ちもなく、私が体験した不思議な話はこれで終わりです。
おじいちゃんが助けてくれたんですね。
横に1匹の狐さん。
なんとなくきさらぎ駅とかの不気味さじゃなく神聖さを感じる話だった