秘匿
投稿者:砂の唄 (11)
私はあの建物の裏手へ向かった。裏手の農地はすっかり乾燥していて足元も悪くない。私は柵の上部に手をかけ、体を持ち上げ柵をまたいだ。それほど苦労もなく敷地内に入ることができたが、日はだいぶ落ちていて、建物の様子がぼんやりとしか見えない。私は建物に近づき、中へ入れそうな入り口を探すことにした。
近づいて初めてわかることがいくつかあった。まず、ほぼすべての窓ガラスがすりガラスになっていて、中の様子がまるで分からなかった。また、大きめのシャッターの隣にあった裏口らしき扉には何枚もの板が厳重に張り付けてあり、板には何本もの釘が執拗に打ち付けられていた。
望みは薄かったが、私は昨日少しだけ見えた正面の入り口の方へ行ってみた。正面の扉には大きな取っ手がついていて、そこには細い鎖が三重くらいに巻かれ、真ん中のところには南京錠が一つぶら下がっていた。私は裏の方へと戻り、もう一度窓を念入りに見てみた。その中に一つ不自然な窓があった。それは鍵のある部分だけが割られていて、大人の腕が通るぐらいの穴があいていた。昔テレビで見た強盗に入られた家の窓に似ていて、明らかに人為的なものだ。
私は恐る恐る手を伸ばして鍵を開け、ゆっくりと窓ガラスを横へスライドさせた。私は柵を乗り越えた時と同じように窓枠をまたいで室内へ入った。着地した足裏の感触は妙に柔らかく、私はゆっくりと視線を足元に落とした。そこは周りの床面よりも一段高くなっていて、畳が敷いてある場所だった。一見するとここは宿直室のようだが、私の頭には物々しい守衛室という言葉が頭に浮かんでいた。それは壁際の机にあった複数のモニターが目に入ったからだ。画面は8つで、ものとしてはコンビニの事務所にあるようなものと大差ないだろう。この部屋にはテーブル、大きめの机、椅子、モニター、あとは簡易的な流しがあるくらいで、殺風景というよりもぬけの殻という印象を受けた。
私は半開きになっているドアを開けて隣の部屋へ移った。そこの部屋には事務机が4つ寄り集まったものが2列並んでいた。そこは事務室のようだった。壁際には書類棚が並んでいたが、どれも中身は空っぽで、事務机の周りにも物品らしいものは何もない。奥の方に巨大なアクリル板が見えた。手元の辺りが小さくくりぬかれていて、動物園などの券売所のような感じだ。ホテルのフロントがこんなものであるはずがないので、ここはやはりホテルではないのだろうか。私はアクリル板の近くにあったドアを開けて、本格的に室内の散策をするべく、この事務室を出た。
そこはエントランスホールのようなひらけた空間が広がっていた。周りの様子を見てみると、ここは公民館か大学のエントランス、そんな感じがしていた。日はすっかり落ちて、周りがほとんど見えず、私は懐中電灯で周囲を照らしながら何か変なものがないか探した。壁際に案内板、もしくは館内図のようなものがあるのを発見した。近づいてみるとそれは館内図で、汚れたり文字がかすれたりはしていないものの、独特な書体をしているせいで一部しか読み取ることが出来なかった。
この建物は昨日見た通り、長方形の形をした2階建ての構造だった。廊下が漢字の「目」の形に伸びていて複雑な構造ではない。外からは見えなかったが、奥の方に体育館のようなホールが独立して存在し、この建物と渡り廊下でつながっている。そのホールの部分には難解な漢字が書かれていて、そこが何をするための場所なのか想像もつかなかった。
1階の東側はそれこそ公民館のように大小様々な部屋がいくつも並んでいて、それぞれに〇〇室と名前がついているが、やはり漢字が難解で読むことが出来ない。少なくとも視聴覚室や図書室のような用途を表すのではなく、旅館の〇〇の間のように内輪だけが理解できるような、そういう名称の部屋ばかりだった。一方で、1階西側には食堂やボイラー室のように一目でどういう場所か理解できる部屋が並んでいる。
2階には小さな四角が規則正しく並び、それぞれに101や210といった部屋番号と思われるものが書かれていた。2階には客室?が並んでいるだけで、あとは洗濯室やら浴室、ラウンジのような空間があるだけだった。私は2階の様子が気になり、このまま1階の東側の廊下を進んで、北東にある階段で2階へ上がろうと考えた。
このエントランスホールにはごみ一つ落ちていなかったが、危険なものがないか用心して、私は1階東側の廊下を進んだ。あの時はあまり気にしなかったが、10年使われていない建物の床があれ程きれいなはずがなかった。きちんと戸締りがされているにせよ、ホコリ一つ目立たないのは誰かが定期的に掃除でもしない限りあり得ないことだ。
1階の各部屋はしっかりとドアが閉まっていたが、鍵はかかっておらず少しドアノブを引けば簡単に開いた。もっとも、どの部屋も椅子一つ置いていない全くの空室で、時たまホワイトボードが壁にかけてあったり、黒いビロードのようなカーテンが残っているだけだった。強いて特徴を言えば、どの部屋の壁も外壁と同じ白色をしていることぐらいだろうか。広さは小さなところでも学校の教室くらいはあり、使用されているときは机や椅子があったのかもしれない。数部屋中を見てみたが、どこも代わり映えせず、私は残りの部屋をとばして足早に2階へ上がることにした。
2階も1階と同じように一本道の廊下が続き、部屋番号がついた小部屋がずらっと並んでいるのが見える。1階と比べると埃っぽくて、荒れてはいないが廃墟という感じが色濃く出ていた。小部屋のドアは半開きになっているものと、しっかりと閉じているものとが混在しているようだ。私はとりあえず一番近くにあった101と書かれた部屋のドアを開けて中へ入った。鍵はかかっていない、というより鍵は存在していなかった。ドア付近には板一枚程度の広さのスペースがあり、その一段先に4畳程度の空間があった。懐中電灯の明かりを上に向けると、そこには外から見えたものと同じ、横に長く縦に短い窓が見えた。その窓もすりガラスになっていて換気には十分だが、人が過ごす部屋には適当ではない。
そのまま天井を照らすと古いすすけた蛍光灯が2本くっついていて、壁を照らしてみても目ぼしいものは何もない。他に特徴のあるものも見つけることが出来ず、私は101の部屋を出て隣の102の部屋を見てみた。隣の部屋と造りは全く同じだが、この部屋には小さなテーブルが隅の方に置かれたままになっていた。他に何かないだろうかと、私は四方を照らしながらじっくりと部屋の中を見ていたが、途中でこの部屋の妙な点に気が付いてしまった。
照明のスイッチがないのだ。ほぼ例外なく壁についてあるはずのスイッチがどこにもない。リモコンで照明のオンオフを調節するものも存在するが、こんなむき出しの蛍光灯にそんな機能があるだろうか?紐を引いて調節するのか?しかし、紐は見当たらず、わざわざ引きちぎったのか?また、この部屋にはコンセントが存在しないことにも気づいた。最初はドアの影にあるのだろうと思っていたが、ドアを閉めて確認してもやはり見つからない。照明はともかくとして、コンセントもないこの部屋は果たして宿泊のための部屋なのだろうか?
私は急に不気味なものを感じ始めたのだが、まだ好奇心が上回り、散策を続けることにした。他の部屋も見てみたが、やはり同じ造りで、たまにテーブルがあるだけで物品は何も残っていない。他の部屋にもやはり照明の紐とコンセントはなかった。2、3鍵がないにも関わらずドアが開かない部屋があって、中に入ることが出来なかった。鍵がない部屋のドアがなぜ開かないのか、その部屋には何があるのか、私には見当もつかなかった。
南側の廊下には部屋らしい部屋はなく、西側の廊下にはさっきと同じように小部屋とトイレや浴室などが並んでいるだけだ。そこの部屋も全く同じ造りだったため、私は足早に廊下を突き進み、奥で1階へと続く階段を見つけた。その階段は建物の北西に位置していたので、そのまま降りれば食堂の近くに出るはずだ。恐らく40近くあるこの小部屋が何なのか、答えが見つからないまま私は再び1階へと降りていった。
直進すれば例の独立したホールに続く廊下が左手に見えてくる、右に進めば食堂やら何やらの部屋が並んでいる、どちらに進もうか考えながら私は階段を下りていた。何時かは分からないが、外はもう真っ暗で懐中電灯の明かりなしではほぼ何も見えない。階段を下まで降りると、私は階段がまだ下に続いていることを発見した。あの館内図には地下のことなど何も書かれておらず、地下に何があるのかは不明だ。私はそのまま地下へ降りることにした。
地下への階段を降りきると、そこには防火扉のような分厚いドアが待ち構えていて、開けるのに少し骨が折れた。相変わらず鍵はかかっていなかった。ドアの先は一切の暗黒で何も見えない闇の世界だった。私はまず懐中電灯の明かりで床を照らし、地下の構造を見てみることにした。一本の廊下が建物の南側へと伸びていて、床にはほこりがたまり長い間人は歩いていない状態だった。私はゆっくりと地下の内部へと進み、懐中電灯の光を壁へと向けた。
私の目に飛び込んできたのは牢屋であった。見間違えるはずもなく、金属の棒が格子状に並び、その隙間の奥には2階の小部屋と同じくらいのスペースが広がっていた。明かりを横にずらしてみると、同じような牢屋がいくつも並んでいることに気づいた。その一つに近づき、中の様子を伺ってみる。床と壁はコンクリートがむき出しになっていて、中には古いブリキのバケツが一つだけ横になって転がっていた。私はようやくこの建物の異常性に気が付き、奥へ進むことをやめ地上へ出ようと階段前のドアまで戻った。
地下の暗闇から抜け出し、ドアをゆっくりと閉めようとした時だった。私は何かの物音がすることに気が付いた。地下に降りるつい5分前には確かに聞こえていなかった。少しして気が付いたが、それは足音、それも何人もが歩く足音だった。足音は遠くから、恐らく1階から聞こえていているが、足音は移動しており徐々にこちらに近づいているようだった。私は音を立てないようにゆっくりとドアを閉めると、足音を立てないように四つん這いになりながら階段の横にある物置のようなスペースへと移動した。
建物に入るところを見られたのか?心臓は今にもはち切れそうで、私は静かに息を殺し、足音が向かう先がここでないように目をつぶって祈り続けていた。だが、一方で私は疑問に思うことがあった。1階を歩いている連中は私の身を案じるにせよ、不法侵入を咎めるにせよ、私を探しているはずだ。それなら何かしらの呼びかけがあるのではないか?話し声などは全く聞こえず、ただ足音だけが聞こえていた。足音は無情にもこちらに近づいていたが、ある時点でそれはだんだんと小さくなっていき、最後には聞こえなくなった。私はまだ安心せずに階段の上の方を気にしていたのだが、今度は足音とは全く違う異様な音が聞こえてきた。
それは何かの楽曲なのだろう、ラッパのような金管楽器が勇ましい感じで鳴り響き、そこに混じって何を言っているかわからない男性の低い声が聞こえる。その音、音楽は移動している訳ではなく、どこかの1点で鳴り続けているようだ。それはリズムを崩さず、常に一定の音量が保たれていて、誰かが演奏をしているような感じではなかった。
私はその楽曲の中に足音が混じっていないことを確認し、懐中電灯を落とさないように端についたストラップに手首を通して固定し、準備を整えゆっくりと階段を昇った。1階に戻り周囲を見渡したが誰もいない。足音が途中で消えた以上、どこかの部屋に入って行った可能性もあり、私は身をかがめながら西側の廊下を通って最初のエントランスホールへと向かった。
歩いてゆくにつれ、音は大きくなり途中からは小さくなった。どうやら音源は東側の廊下の真ん中辺りのようだ。人影がないことを確認し、館内図があるところまで戻ってきた。音原が近くにあることは確かで、人がいないかの確認も兼ねて、私はその音源の方へ向かって東側の廊下を進んだ。音源の部屋はドアが開いたままで、私は中の様子を見てみた。部屋の中は無人で、議会にありそうな立派な机とテーブルが置いてあり、その机の上に古びたラジカセが置いてあった。1階の散策でこの部屋に入った覚えはなく、ラジカセが最初からあったのかはわからない。再生のボタンはオンになっていて、ラジカセの中のカセットテープは確実に動いている、このラジカセは正常に作動しているのだ。
「ドーン」という爆撃のような音が奥の方から聞こえてきて、私は心臓が外れてしまったのではないかと疑う程の胸の圧迫を感じた。それは2,3回鳴った後に聞こえなくなったが、今度は目の前のラジカセから流れているような、低い声で何かを唱えている不気味な旋律が聞こえてきた。最早私の頭の中には「早く逃げる」という簡単な解決策すら浮かんでこず、「何があるのか確かめなければ」という思い付きに突き動かされ、私の足は不気味な声の方へと進んでいた。戦争映画で武器も持たない兵士が戦場をゾンビのようにふらふら歩いている、そんなシーンを見たことがあると思うがあれと同じ状態だった。
この不気味な声は離れのホールから聞こえていた。ホールへ続く暗い廊下を中腰になりながら這うように移動する。ホールの扉は学校の体育館のような感じで、ドアとドアの隙間から中を覗くことが出来た。ホールはさほど広くなく、中央には葬式で見かけるような祭壇らしきものがあり、その手前の聖火台みたいな金属の器で炎が揺らめいている。
ゾクゾクした
最後、笑顔で何て言ってたんだろう‥非通知に出たら何を言われるのか‥想像力を掻き立てられます。
こわ…、
もう温泉旅館にいけませんw