虫除けのカノン
投稿者:take (96)
妹が大学に入ったばかりのときの話です。
あるサークルに仮入会し、『準歓迎会』というものにお呼ばれしました。
要するに、入会を迷っている新入生をかき口説き、本入会させる場です。
それは大衆居酒屋で行われたのですが、妹の隣に座ったのが三年生の男子生徒でした。
絵に描いたような『軽薄な男』で、口から出てくるのも、
「きみ可愛いね」「映画はどんなの好き?」「今度〇〇へ行こうよ」
などの、単なる勧誘の言葉ではなく、最後には、
「いい店知ってるんだ、この後ふたりでいかない?」
と言い出す始末でした。
周囲の先輩たちは「おい、やめとけよ」「ヤバいやつだからついてっちゃだめだよ」と、苦笑まじりに言っていましたが、妹は別の意味でヤバいやつだなと思っていました。
『霊感体質』の妹には、軽薄男の背後に黒い人影のようなものが寄り添っているのが見えていたのです。
軽薄男をいなして、無事帰宅したその夜。
自室で寝ていた妹は、嫌な気配で目が覚めました。
一緒に寝ていた飼い猫の『ナナ』が毛を逆立てています。
気づくと部屋に、黒い人影が立っており、すぐに軽薄男の背後にいたアレだとわかりました、しかも女だと。
不穏な空気と充満する負の感情に、私が、あの軽薄男とかかわっていたのが気に入らないのだろう、向こうが勝手に近づいてきたんだけどな、と思いつつ、
「心配しなくってもいいよ、私、あなたの好きな人に興味ないから」
そう言うと、パシッ! と部屋じゅうに破裂音が響きます。
信用できないってことか……そう思うと、妹も腹が立ってきて、
「うるさいね! 私は迷惑してるんよ、文句ならあんたの男に言えよ!」
そう一喝すると、人影が少し怯んだように後退ります。
そのとき、なにかを口ずさむような女の声が聞こえてくるのに気づきました。
妹が耳を澄ますと、それはパッヘルベルのカノンらしいことがわかりました。
いまにも飛びかかりそうなナナを押さえながら、
「その曲がどうかしたの?」
と尋ねると、人影はすっと、妹の口のあたりを指差し、消えていきました。
数日後、妹に狙いを定めたらしい軽薄男が、またしつこく誘いをかけてきました。
妹は「そうですねー」と考えるようなふりをしつつ、鼻唄で『カノン』を口ずさむと、
軽薄男は明らかに動揺して、その場で固まったそうです。
とびきりの笑顔で、
「私、この曲好きなんです、癖でやっちゃうんですよね、鼻唄」
妹はそう言いました。
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